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競わずに、走る。ひとりで、走る。

水面が眩しく光り、瞬きが増える。
皇居のランニングコースに入ると多くのランナー達が私の横を通過していく。
桜田門まではあと300メートル位だろうか。
痛み始めた膝を庇いながら、最後の力を振り絞ってダッシュした。

***

神様にお願いするのは何度目だろう。
誰かにとってはどうでも良いことが、私にとっては重要なことで、とにかく、明日起きたら天気は晴れで、なんとなく痛いような右膝が、少しも痛くありませんように!と、神様にお願いをした。
42歳にして神頼みかと言われると、ちょっと恥ずかしいけれど、何もしないよりはマシだと自分に言い聞かせる。

明日、私は人生初のハーフマラソンを走る。
それは、自分で決めた1人だけのマラソン大会だ。

「コロナ禍で青春が失われていく」と言い続ける中2の娘を横目に、私はせっせと明日の支度をする。着替え、タオル、PASMOとスマホがあれば充分だろう。
寝る前にいつも飲むコーヒーを今日は我慢して、布団に潜り込んだのは午後10時頃、普段よりもずっと早い。

***

初めて大会に参加しようと決めてから、もう2年以上経ってしまった。
過去にエントリーした大会は、ことごとく中止となり、未だに出場経験はゼロだ。

そもそも私は走る人ではなかった。
何の運動もしてこなくて、健康診断では毎年、「まずは1日5分、運動をしましょう」と書かれた結果が届いていた。

しかし、変化は突然訪れるものだ。

2年半前、軽井沢ハーフマラソンに出場するという仲間の影響を受けて、走りきれるかどうかも分からないのに、大会にエントリーをしたのだ。
40歳とは思えないほど勢いのある決断だったなと思う。

結局、大会は台風の影響で中止となってしまったけれど、そこから継続して、週末には10キロを走るという生活を続けている。

***

今年の秋も軽井沢ハーフマラソンは開催中止となった。
別に大会のために走っているわけではなく、今は純粋に走ることが好きで走っているのだけど、それでも、走るきっかけとなったこの大会には執着している自分がいた。

そこで私は、いつか参加する本大会の前準備として、自分だけのハーフマラソンを開催することに決めた。

***

ハーフマラソンの練習は、とにかく色々な方角にできるだけ長く走ろうと決めて、GoogleMapsをひたすら眺めた。

私は大抵、公共交通機関で行き難い場所を目的地にしている。
その理由は、自分の中の「なんだか走るのが面倒になってきた」という気持ちを、「走りたい」に変換させるためだ。
初めての場所との出会いは、自分の知っている世界を少しずつ広げ、日々の暮らしをじわじわと豊かに変えてくれる。
普通に生活しているだけでは、こんな体験はなかなかできるものじゃない。

この練習期間も、四方八方へととにかく走った。

距離を伸ばし、筋肉痛や膝の痛みも久しぶりに経験したけれど、これなら当日はきっと走れる。そんな気がしていた。

***

そしてあっという間に約1か月が経ち、ついにハーフマラソン当日を迎えた。

午前8時30分、西東京市の自宅をスタート。
コースは皇居までの約22キロだ。

外に出ると気持ちの良い秋晴れで、神様も良い仕事をしてくれたなと勝手に思った。すこぶる体も調子が良い。
背負っている大きなリュックは邪魔になるかと思ったけれど、身体にピッタリと密着しているためさほど気にならなくて良かった。

30分ほど走り続け、西武新宿線の東伏見駅を越えて青梅街道に出た。青梅街道を新宿方面にひたすら進み続ける。

車でしか通ったことがない道を走っていると、夢か現実か分からなくなってきて、頭の中がちょっと混乱してくる。ランナーズハイとはこのことなのか?良くわからないけれど、とにかくふわふわした気分だった。

走り続けるとカロリーを消費してるのがよくわかる。JR荻窪駅を通過した辺りからラーメン屋がやたらと目についた。
ラーメン二郎なんて、開店前なのに匂いをぷんぷんさせて誘惑してくるからたまらない。
次はラーメン屋まで走るランニングもいいかな、なんて妄想をしながら走った。

妄想しながら走り続けていると、お腹がグゥーっと鳴った。
空腹に耐えられなくなった私は、近くのミニストップに駆け込み、マンゴーパフェを注文した。
これはれっきとした補給タイムである。

凍ったマンゴーとソフトクリームの組み合わせのせいか、暑かったはずの体がすっかり冷え切ってしまった。
体を温めるためにも、食べてすぐに走り出した。

午前10時過ぎ、JR中野駅付近を通過。
日差しが強くなってきて、首から汗が流れる。
体育の成績が万年2だった私が大人になり、走ることでようやく汗をかくことの気持ち良さを知った。
流れる汗がくすぐったくも愛おしい。

近くに見えたマクドナルドでアイスコーヒーをテイクアウトし、給水をしながら走る。
ランニング中にアイスコーヒーを飲むと、ふにゃふにゃしてきた気分をシャキッとさせることができるのだ。
中だるみしてきた心と身体にカフェインが喝を入れる。

喉も潤い落ち着いたところで、目の前にある景色を楽しみながら走る。
大きな建物を見て走るのは、とても新鮮だ。いつもは自宅周辺の自然の中を走っているので、今日は都会に迷い込んだネズミのような気分。
普段走りながら聴こえてくる音とは違い、都会の持つ独特な音に慣れなくて緊張し、少しドキドキした。
「何かあったら走って逃げよう。」走りながら、そんなくだらないことを考えていた。

午前11時、目の前にはルミネとビックカメラの看板が現れた。
ついにJR新宿駅まで辿り着いた。


休日の新宿は賑やかさを取り戻しており、人で溢れていた。
ぶつからないように、人をかわして走る。

ふと目にした新宿伊勢丹のショウウィンドウにはランニングウエアで走る自分が映っていた。
この地を走る自分が、なんだかちょっと誇らしかった。

過去に走った最長の距離19キロを越え、足が少しずつ重くなる。

走っては歩きを繰り返し、進むこと3キロ、四谷を越えてようやく皇居のランニングコースに到着した。

コースに入ると、ランナーたちが私の横をものすごいスピードで通過していく。
だけど焦ることはない。だって私は誰とも競っていないのだから。
自分だけのハーフマラソンは、目の前を走るランナーたちまでも景色と同化させるのだ。

ゴールの桜田門が見え、私はそこから無我夢中でダッシュをした。
門をくぐると、私だけにしか見えないゴールテープが、そこには確実にあった。

誰に祝福されるわけでもなく、賞が貰えるわけでもない。
それなのに、嬉しくて、胸いっぱいで、ちょっとだけ涙が出た。
純粋に、幸せだった。

これが42歳の私の青春の記録だ。


***

走ることで私は暮らしている土地にとても詳しくなった。
20年近く住んだ実家周辺よりも、4年しか住んでいない今の家の周辺の方が確実に詳しい。
地図の見方もすっかり変わった。
線路が通っていなくたって、私は自分の足で目的地に行けるのだ。
そして、自宅から皇居までの23キロを走ったことで、確実に今までとは違うランニングの楽しみを覚えた。

自由なランニングが好きだから、私は大会には向かないのかもしれない。
それでも、大会という目標を作ることで、私の走る世界はもっと広がるような気がした。


***


こんな私のランニング後の最大のお楽しみは、消費カロリーを見ることである。
走り続けても痩せない理由は、ここにあるような気がしている。

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