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日常は続いている

昨夜から、少しだけソワソワしていた。初めてのことには、いくつになっても緊張するものである。

私は棚の中からIKEAで買った小さめのプラスチックケースを取り出した。蓋はいるのだろうか。分からないけれど、きっとあったほうが良いはずだ。なにせ、溢れてしまっては困るのだから。

15時になると次女に声をかけて、2人で外へ出た。11月もあと数日で終わりだね、そんな話をしながら近所のコミュニティセンターへと歩いていった。途中ですれ違った幼児連れのお母さんは、大きな水槽を抱えて歩いていた。自然と娘と目が合った。会話はなかったけれど、持ってきたプラスチックケースでは小さすぎるのではないかという不安が、私たちの頭の中を過っていた。

コミュニティセンターに到着すると、少し列ができていた。受付で5個と言われている人もいれば、いくつ欲しいの?なんて聞かれている人もいた。
あっという間に私たちの番がやってきた。「今回が初めてね?じゃあ5個ね。来年からは経験者だからいくつでも持っていきなさい。貰いに来るときには小さな瓶を持ってくれば良いのよ。そんなに大きい入れ物は要らないからね。まぁでも、育てるにはちょうど良い大きさね。それで飼うんでしょ?来年は沢山持っていくなら、あの人みたいな大き目の水槽で育てなさいね。」受付の人は、ものすごい早口でそう話してくれた。

受付を済ませると、奥の部屋へと案内された。手招きをするおじいさんに持ってきたケースを預けると、オレンジ色のまるい卵と、カルキ抜きをした水を入れてくれた。ケースの中を覗いた次女は、「イクラだねぇ」と言って笑った。オレンジ色のまるい卵は、誰がどう見ても完全にイクラだった。そりゃあそうだ、だってこれはサケの卵なのだから。

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数週間前に、次女が小学校からお便りをもらってきた。「サケの卵、育てませんか?」そんな見出しのお便りだったと思う。サケの卵を家で育てて、孵化させたサケを2月に川へ放流するという企画だ。もらうというよりも一時お預かりと言った方が正解だろう。地球温暖化の影響などで、日本のサケの数が年々減っているそうだ。そんな中、人の手によって卵を孵化させて川へ戻すという事業が多く進められている。
ごくごく僅かな数だけれど、こうやって普通に暮らす私たちでも協力することができるところが良いなと思い、この活動に参加することを決めた。また、コロナ禍で長女のときとは違い、あまり多くの体験をさせてあげることの出来なかった次女に、何かさせてあげたいという気持ちもあった。
とはいえ、以前からなんとなく、私はサケに興味があったのだ。もちろんサケを食べることは好きなのだけれど、それとは別にサケの成長についても、少し気になっていたのだ。

子供たちが小学校低学年の頃までは、週末に図書館で山のような絵本を借りてきて、寝る前に必ず絵本を読み聞かせていた。絵本選びには特に決まりはなく、いつも適当に選んでいたのだけれど、サケの一生に関する絵本を手にすることが何度かあり、自然と興味が沸いていったのだ。その中でも特に、『かえってきた さけ』という絵本を読み終えたあとは、親子揃ってしばらくサケのことが頭から離れなかった。

絵本『かえってきた さけ』

この絵本は、ひれに赤いひもがつけられたサケの「アカヒモ」が、生まれた川から海に出て、4年後にまた故郷に戻ってくるというお話しだ。命を懸けて故郷の川へと戻るサケの姿は、とても印象的だった。挿絵を担当したアーノルド・ローベルが描くサケは、やけに生々しくリアルであり、そこに彼のイラスト独特の愛おしさがプラスされていて、読みながらサケに対する想いが大きく膨らんでいったのをよく覚えている。次女が学校からもらってきたお便りを、いつものようにテーブルの上に雑に置くのではなく、珍しく手渡ししてきたのは、彼女の心のどこかにも絵本のことが残っていたからなんじゃないかなと思ったりもした。

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持って帰ってきたケースをリビングのテーブルの上に置き、いざサケの卵を目の前にすると、不思議な気持ちになった。普段食べているイクラと全く同じなのに、やけに可愛く見えるのだ。

家にきたばかりの卵たち

サケの卵は暗くて温度が変わらない場所で育てるように言われたので、サケ入りのケースはクローゼットの中に置くことにした。

サケの卵が家に来て3日目のことだ。卵が随分と白く濁っているような気がした。コミュニティセンターでおじいさんに言われた通り、水温が変わらない、日光の当たらない場所で育てているのだけれど、何か他に問題があったんじゃないかとすごく焦った。全滅したらと想像するだけで、次女と私は不安で泣きそうになった。死んでしまったかもしれないという事実が怖くなって、クローゼットの奥にしまい、数日間ケースに触れることができなくなってしまった。

突然白くなった卵

卵が白くなった日から1週間経ったある日、さすがにこのままではまずいと思い、卵の様子を確認することにした。死んでしまっていたらどうやって処分しようか、そんなことを考えながらケースを手に取ると、不思議な生き物が水中を泳いでいた。
白くなった卵は全て無事で、卵の中から顔や尻尾を出して、ゆっくりと泳いでいたのだ。
まるで荷物を抱えているようなサケの姿に笑ってしまったけれど、生きていたことにホッとしたのと、この時期にしか見れない特別バージョンのサケたちがとても可愛かった。

ついに卵の中から飛び出し、泳ぐサケたち

この日以降は、ぶら下げた卵の中の栄養を摂取しながら、すくすくと育っていった。
栄養の袋が無くなると、ここからは餌をあげる私たちの出番だ。コミュニティセンターでもらった鰹節の粉みたいな餌を、毎日適量パラパラと与える。餌を食べるようになってからは、一丁前にフンをするようになって、水がすぐに汚れるようになった。水の入れ替えを週に一度は行い、飛び出しそうなほど元気なサケたちに次女は名前を付けて毎日観察をしていた。そして、サケがいる生活は日常となり、あっという間に大きくなっていった。

放流間近のサケたち

卵を育てはじめてから3ヶ月経った翌年の2月、すっかり大きくなったサケを指定の川に放流した。
サケたちは瞬く間に見えなくなり、随分とあっさりしたお別れだった。けれども次女と私は、その場からすぐに立ち去ることができなくて、川のその先をずっと眺めていた。遠くで鳥が川に向かって飛んできたのを見て、次女は走っていき追い払った。
ここから先、あのサケたちに私たちがしてあげられることなどない。自分で危険から身を守り、生き抜いていかなければならないのだ。なんとも言えない気持ちを紛らわすために、私たちは追いかけっこをし、そのまま川を後にした。

サケを放流した飯能河原

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食卓に焼き魚が並んでいる。
これまでと変わらずに、同じように、私たちは魚を食べる。今日も変わらずに焼き魚が美味しい。
サケの卵を育てたからといって、私たちの日常が特別に変わったわけではない。サケの話も全くしなくなってしまった。日常とはそんなものなのだ。
だけど、次女がお便りを私に手渡してきたように、私が卵をもらいに行こうと思ったように、今回の経験はきっと、この先の日常のどこかに繋がっていくのだろう。

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