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双子育児中の私が看護師を目指すワケ


#この仕事を選んだわけ

まだ働いてませんが何で看護師を目指して日々奮闘してるのか、記録としてでも残します。

私は元々叔母が看護師をしていることもあり、看護師は将来の選択肢の中に含まれていました。ただ、自己紹介を見ていただけるとわかるように、他になりたい職業があったため、選択肢からは除外されてました。

転機は21歳の時、突然の卵巣嚢腫(卵巣の良性腫瘍)で開腹手術をしなければならなくなり、大学病院に入院しました。
自分の体なのにどうなっているのか、どうしたら治るのか、不安になりました。

結果、開腹手術をして嚢腫は摘出しましたが、将来子供は出来るのか?嚢腫を切り離された片方の卵巣は機能するのか?疑問が残りました。

その疑問を受け持ってくださった看護師さんたちは真摯に受け止めてくださり、解消してくれました。

今になって思うことは、心に寄り添う看護とはこの時のことを言うのかと考えています。

そのときは、なんでも知ってる看護師はすごいな、自分もその立場になってみたいなと感じる程度でした。

看護師になる!と強く思うようになったのは、双子を出産した時です。

そのときは離島に住んでいて、正直夫婦の月の給料を合わせても25万円程度…しかし物価は高く、双子のように同時に進学を迎える時に子供たちに経済的な負担をさせたくないという想いが芽生えました。

貯金もしようと思えば出来たのでしょうが、あの頃の私には双子を生かすために精一杯でした。

日本は、親の経済力で子供の学力が決まるともいわれています。
親が貧乏なら大学も諦め、やりたいことも諦める。
自分の子供に自分の経済力が原因で挑戦したいことを諦めてほしくなかったのです。

子供たちには
必要なときに必要な教育を受けさせてあげたい。
何かを目指したいといわれた時に快く応援してあげたい。

そんな気持ちが強くなりました。

そのためには、手に職を付け、自らの経済力を身に付ける必要があると考えました。
確かに、きらびやかな世界ではないかもしれない。
でもきっと、やりがいはあると思う。

これは看護学生として学んでいて感じることです。

でもわたしは、理想の看護師像になるため、子供たちの将来の選択肢を広げるためにこの仕事を選びました。


まだまだこの先、イヤイヤ期の双子と戦いながら看護学生を3年続けなければなりません。
でもこれは未来の自分と子供たちのためだと考えて前に進むだけだと思ってます。


今は踏ん張りどころですが育児と学業、そして仕事を両立していきたいと強く感じてます。


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