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宅配ピザに人生を重ねた日

「薄いピザなんて、ピザとはいえない」

大将が言った。

大学生5人、部活帰り、22時、ワンルーム。
大学から一番近い私の狭い部屋に集まった男女が、6畳しかないその場所で肩を寄せ合い1枚のチラシをとり囲んでいた。『どの宅配ピザを頼むか会議』である。その表情は真剣だった。

貧乏学生にとって1枚2,000円近い宅配ピザはクーポンを使っても贅沢な食体験となる。失敗は許されない。白熱した議論の最中それぞれのポリシーがぶつかり合う様子に、これはもう空が白むまで語らなければならないのではないかとすら思った。

今回の議題はなんといってもあの「ピザ」である。大学生の3大欲求は食欲、睡眠欲、性欲、ピザ・寿司を食べる欲、である。全然3じゃない。4、いや5とも言える。あと語呂が悪い。

「そうだね、クリスピー生地は嫌いじゃないけど、フカフカの方がいっぱい食べられるよ」

クリスピーの方が絶対に美味しいと主張する私以外の4人は薄い生地を好まないというので、平和的に1枚だけをクリスピー生地にしてその他をフカフカ生地とすることで合意した。『どの宅配ピザを頼むか会議』ひとまず完結。

「ありえないって、クリスピーはほんとありえないって」

大将はもう一度言った。
当然だが、この「大将」というのはニックネームだ。もちろんなにかの大将という訳ではない。余談ではあるが、私の周りには変なニックネームの友人が多い。先ほど「クリスピー生地は嫌いじゃない」と言ったのは『アブノーマル』というニックネームで「あぶちゃん」と呼ばれていた。ニックネームに更にニックネームがあるタイプだ。意味がわからないし本名とはかけ離れ過ぎているため、私はいつも彼の本名を思い出せない。彼の名誉のために言っておくが、あぶちゃんはそのニックネーム以外至極ノーマルな男だ。

大将は同じ学科、同じクラス、同じオーケストラ部、私は部長で、彼は副部長という間柄だったので、大学時代のほとんどを一緒に過ごしていたような気がする。出会った時には、痩せたイケてるラッパーのような見た目であったが、彼の何がそうさせたか数年で随分とフォルムが大きくなり、貫禄あるその姿はまさしく大将と呼ぶのに相応しくなった。呼ばれる名前に合わせにきているのかとすら思うほど「大将然」としていた。ラッパーのようなファッションを好んで着るのはずっと変わらないが、彼はオーケストラで「ラッパ」を吹いている。

『どの宅配ピザを頼むか会議』のあったその日。
4人は何かの話し合いのために私の部屋にやってきた。次のコンサートのエキストラ出演者を決めるためだったか、練習日程を決めるためだったか、何をしにきたか何を話したか、10年以上経った今、全く覚えていない。

ただ、「宅配ピザを頼んだ」そして「生地の種類で揉めた」。
正直なんのピザだったか、ピザーラだったのかピザハットだったのか、ドミノピザだったのかも一切覚えていない。覚えているのは、とにかく大将にクリスピー生地をディスられたことだけだ。クリスピー生地の何がそんなに憎いのか。クリスピー生地にトラウマでもあるのか。クリスピー生地に恋人を取られたか。もしくは親兄弟をクリスピー生地に殺されたとでもいうのか。腹立たしい気持ちではあったが、大将のクリスピー生地への憎悪は本物だった。どんなに見た目が「大将」になろうとも、クリスピー生地へのディスを繰り広げるその心は本物のラッパーだった。

結局、届いたピザを前にして、皆クリスピーもふかふか生地も関係ないようだった。どっちもうまいじゃないか、一様にそう言った。大将も「クリスピーは絶対違う」と言いつつ、なんだかんだどちらの生地も楽しんでいた。

どうやら頼みすぎたようで、ピザは数枚残ってしまった。ラップで1枚ずつ包む私の背後ではまだ生地の種類の話が続いていた。くだらない話題ひとつ、その時の私たちには一大事だった。そういう無意味で馬鹿らしい瞬間がたまらなく楽しかったような気がする。


それから10年以上の時が経ち、私は32歳になった。そしてベッドの中にいる。昨日病院で検査を受けたのだが、その影響かどうにも体調が優れず、朝から丸まって過ごしていた。ベッドと一体化したい。全く動けそうにない。

お昼の12時を過ぎた。空腹だ。朝から何も食べていない。体調が悪くとも食欲があるのはいいことだ。でも何もしたくない。朝からトイレにしか行けていない。執事雇えないかな。温かいご飯を作って欲しい。ついでに部屋の掃除も頼みたいし、今日中にやらなければならない仕事の申請もやっておいて欲しい。いやもう執事だろうがなんだろうがなんでもいい。斎藤工、結婚してくれ。飯は私が作る。

斎藤工との出会いはドラマ「昼顔」だった。眼鏡をかけた鈍臭そうな先生役がなんとも乙女心をくすぐられた。顔もいい。声もいい。映画を語らせるとピカイチで、若い時はレンタルビデオ屋にある全ての映画を見たという努力家。バックパックひとつで世界を巡る度胸もある。
だけど彼は走るととてもダサい。完璧なスタイルなのにもかかわらず、素人目に見ても多分そんなに運動神経が良くないんじゃないかと思わせる動きには才能すら感じさせる。そういう完璧じゃないところも彼の魅力の一つだ。
私が東京にいたときは、彼が監督した作品の舞台挨拶を見に行ったりもした。彼が当時出演したバラエティ番組で好みのタイプを聞かれた際「映画館で映画が始まるまでの待ち時間、スマホではなく文庫本を読んでいる女性が好き」といったことがあったせいか、舞台挨拶が始まるまでの間たくみを求めてやってきた女性は皆、文庫本を開いていた。インターネット大好き人間の私は、Twitterに「初めての生たくみ」みたいなことを呟いていて、酷く恥ずかしい人間のように思えたのを覚えている。
生たくみはひたすらにかっこよかった。そしてやはり、運動神経が良さそうには見えなかった。

生たくみから7〜8年経っただろうか。今も私がインターネット大好き人間であることに変わりはない。ベッドで丸まろうとも、スマホとPCは手の届く位置に置いてある。ひとまずは空腹をどうにかせねばならない。「たくみ 結婚するには」で検索しても何も解決しないことだけはわかっている。Googleの検索欄に「執事 雇うには」と入力しようとして気付いた。

ピザだ。

腹が減ったのなら、宅配ピザを頼めばいいのだ。

私の住む家は中央から大分離れているので、Uber Eatsの対象地域にはなっていない。おそらく先5年は対象になることはないのではなかろうかというほどのど田舎。出前館を使ってデリバリーできるお店も限られているので、選択肢はピザかカツ丼しかない。

カツ丼を食べるのにはエネルギーが必要そうだ。ピザのほうが手軽で良い。しかも初めての利用だったので、2,000円分のクーポンが使えるらしい。ただみたいなものじゃないか。そういえば、貧乏学生の時に使ったクーポンはいくらだったんだろう。同じ2,000円だったとして、それでも「ピザは高い」と思ったろうな。お金の価値が随分変わったことに気付かされる。

注文ページに選択肢が出てきた。

「生地タイプ」

ほう。
私は今でもクリスピータイプのピザしか食べない。昨今の情勢もありお店で気軽にご飯を食べることがなくなって久しいが、初めてのお店でピザを注文する時には必ず生地を確認するほどクリスピー生地にこだわりを持つ。あの日大将に散々ディスられたからだろうか。ふと意固地になってしまっているのかもしれないと思い直した。

そういうの、よくない。私の中の大学生の私が声を上げる。
柔軟性のない大人になっていないか。他者の声を大切にできない自分になっていないか。クリスピーしか選べない、そんな私でいいのか。

気づくと私は「イタリアン」を選んでいた。
ふかふかの生地のことを、このピザ屋ではイタリアンというらしい。いやいや、絶対そんなことなかろう。イタリアにもクリスピー生地はあるはずだ。分かりやすさにかこつけて適当に名前つけるの良くないよ。心の中で難癖をつけた。

届いたらベッドから出ないと。インターフォンまで行って、応対して。置き配はできるんだっけ。頭の中でベッドから起き上がる自分をイメージし、振る舞いをシミュレーションする。よし、大丈夫。できそう。

弱った自分がいささか不甲斐ないが、今日は仕方がない。
そうしてピザが届くまでの間、『どの宅配ピザを頼むか会議』のことをひとつひとつ拾い上げるように思い出していた。

くだらない、無意味で、馬鹿馬鹿しい、あの瞬間。未来に憂いなどなかったような気がする。お金もなかったし、勉学とバイトとオーケストラ漬けの私たちには「大学生らしい遊びの時間」もなかった。だけどいつも真剣だった。ピザ1つ、重要な命題だった。そして何より、楽しかった。

今はどうだろう。未来を不安視し、孤独を恐れ、他者に思いやりを持つこともできず、ただ痛みに耐えているだけの私がいた。10代の頃病気で思うように学校に通えなかった私はどうにも「病気の影」に弱い。またあの時のように起き上がれない毎日を送ることになるのではないか。怖くて不安で、逃げたくてたまらない。だけどそれでいいのか。本当にそれで。
自戒の念でいっぱいになっていると、玄関のチャイムがピザの到着を告げた。

インターフォン越しに映る大学生のような風貌の配達人は、どこか出会った頃の痩せた大将に似ているような気がした。なんとなく顔を合わせたくなくて、置き配を依頼した。

受け取ったピザは4種類の味が楽しめるタイプで、生地は「イタリアン」。濃いチーズの匂いが食欲をそそる。おまけでハッシュドポテトも付いていた。

そうか、選べるのか。
ピザを見ながらふとそんなことを思った。

「未来を憂う私」「孤独を恐る私」「落ち込み塞ぎ込む私」「病気に負ける私」そして、「ネガティブをポジティブに変える私」「逆境をものともしない私」「楽しさを選べる私」「誰かを大切にする私」「自分の幸せに向かって前進する私」「斎藤工との結婚を夢見る私」

どんな『私』を選ぶのも『私』だ。
もし今の『私』がどんな『私』だったとしても。これから選ぶ『私』はどれだっていい。何個選んだっていい。私の物語は『私』で作れるんだ。大切なのは、どうありたいかだ。

ピザを1つ掴んだ。生きるために、食べなければ。
顔をあげて背筋を伸ばす。大きな口であの日と同じ分厚い生地にかぶりつく。

「『イタリアン』も悪くないじゃん」

次の一枚に手を伸ばした。


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