見出し画像

2度目のいってらっしゃい

「いってきま〜す」
「うん、いってらっしゃい!」

いつもの朝のやりとりをして
家を出る

近道を通るために、家の後ろ側へ
あ、忘れ物したかも
そう思って振り返って
カーテン越しにちらっと見えるお母さんと目があった


!?


お母さんもびっくりして
お互い驚いた顔をして
手を振る

二度目の、「いってきます」



はじめて気づいたのは高校3年生の頃
学校が終わり、帰宅してお母さんにきいてみた
「いつからカーテンからも見送ってくれてたん?」
「結構前から、いつかは覚えてないな〜」

ずっと気づいていなかった
お母さんからの愛を後ろからも受け取っていたとは



学校に行くのが嫌な日がなかったのは
もしかしたらそのおかげかもしれない

いつでも前を向いて進んでいけたのは
もしかしたらそのおかげかもしれない

いや、そのおかげなんだ






無事学校を卒業し、希望の大学へ
20歳になり、もう大人の仲間入り
車にだって乗れるようになった
もう、どこにだっていけちゃう



それでも、変わらない



「いってきま〜す」
「うん、いってらっしゃい!」



とことこ



振り返って
ちらりと見える母の笑顔


今日も二度目の「いってきます」














当たり前じゃないんだ、って気づいたのは最近
自立しようって考えすぎていて
こんなにも偉大な母の愛を
すべて受け取れきれていなかったように思う




周りが一人暮らしをはじめているなか
実家暮らしのわたし
周りがなんでもできるようになって
自立していっている気がして
焦っていた





自立するために、自分の部屋で過ごす時間をもっと増やそう
自立するために、休日は家族じゃなくて友達ともっともっと遊ぼう
自立するために、甘えないようにしよう
自立するために、自立するために…




そうして、お母さんからの愛に
気づかないまま
間違えた自立を目指していた
私の好きではないわたしで











だけど、
それは、違う
ほんとうの自立っていうのは
お母さんから離れるっていうわけではなくて
お母さんの愛を全力で受け取り、全力で返し、支える立場になるということだと












こんなにも愛してくれている人が
この世界にひとりでもいることに
毎日感謝しなければならない


そして、
ずーっと、真正面からも、こそっと、後ろからも
見守って、支えて、愛を注いでくれたお母さんを


今度は私が














お母さんを見送る機会は少ないけれど
見送るに限らず、
料理でも、洗濯でも、なんでもいいから
少しでもお母さんに楽ができるように
まずは、お母さんの甘え先に私がなれたなら
1番いいんじゃないかと
最近思うのだ
下手くそでもいいから、
少しずつ、少しずつ
わたしらしく



いつかは、家族をもって
誰かの奥さんに、ある子のお母さんになる
そのときには、
「いってらっしゃい」を
この先愛するだれかに
何度でも、何度でも、
真正面からでも、後ろからでも、どこであっても
送ろうとおもう







ずっと変わらない
「いってらっしゃい」を








この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?