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今日用があることが幸せ

今日、用事があること(きょうよう)を「今日用」と言っているんだけど、神さまがお与えくださった「今日用」に向き合うことが毎日の幸せなのよね。
「今日用」をこなす事が、人生を使い切ったという安堵につながるんじゃない?

樹木希林

本当は昨日noteを更新したかったができなかった。
我々は何かと忙しい。
家族が家にいる土日の方がむしろ忙しいのではないかと思う。

だから私はときどき家族が起きてくる前に家を出る。
朝早くから開いているカフェに行って、モーニングを食べて、手帳を書いたり読書をしたりする。
これらは全て家でもできる。その方が安い。が、家では落ち着いて一人の時間が持てないのだ。

「ママとパンケーキ作りたい」 はいはい。
「ミロ作って~」 はーい。
「お着換えするから見てて」 ・・・え?
「一緒に公園に行こう」 まだ洗い物も身支度も終わってないよー

家にいると、何かと求められる。主に子供から。
でもこんなに求められるのは今だけ、とも思う。
あと数年すれば友達との関わりが増え、習い事に一人で行くようになり、今ほど親と一緒に過ごさなくなるだろう。
私が「一人になりたい」と朝から出かけるのもまた、期間限定なのだ。

忙しいのは求められているから。
今日も仕事と家庭と一人の私としての役割があることがありがたい。
それぞれの濃淡がその時々で変わっていきながら、私という人生を使い切る。

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