見出し画像

誰かの「なんかいい感じ」を羨ましがらないように

センスが良い人に憧れを抱く。

どう言語化したらいいのか分からないけれど、なんかいつもいい感じのお洋服を着ている人。なんかいい感じのアクセサリーを選んでいる人。なんかいい感じのヘアメイクの人。なんかいい感じのインテリアのお部屋に住んでいる人。なんかいい感じのデザインをする人。なんかいい感じの写真を撮る人。なんかいい感じの動画を作る人。ドライブで絶妙ないい感じの選曲ばかりする人。いい感じにおいしそうな料理ばかり作る人。

なんかいい感じ。うまく伝えられないけれど、なんかいい感じ。

言語化出来ないからこそ、なんとなく感じるその"いい感じ"を『センス』という一言に収める。

「あの人はわたしと違ってセンスが良いから」

なんて、今までの人生で何度思ったことだろう。

でも実は、センスとは今まで自分が積んできた経験の集合知なんだと、わたしは思っている。

そんな感じのことを、3年ほど前のnoteでわたしは書いていた。

周りの人の良いなと思う部分を「あの人はセンスが良い」の一言で片づけない。羨ましいと思うのなら、自分もそれ相応の努力をする。それを意識しながらずっと生きてきた。

そしたら、最近読んだ本にも、同じようなことが書かれていた。

パッと見ただけでセンスのいい家具を選べる人は、おそらくインテリア雑誌の100冊や200冊には軽く目を通しています。あるいは、お店を回ったり、詳しい人に話を聞いて、それに匹敵するような情報を得ているはずです。
勉強のような辛い努力ではなく、趣味として楽しんでいたからかもしれませんが、結果、膨大な知識の集積が行われているはずなのです。

センスに自信がない人は、自分が、実はいかに情報を集めていないか、自分が持っている客観情報がいかに少ないかを、まず自覚しましょう。いくら瞬時に物事を最適化できる人がいたとしても、その人のセンスは感覚ではなく、膨大な知識の集積なのです。

センスとはつまり、研鑽によって誰でも手にできる能力と言えます。決して生まれつきの才能ではないのです。

センスは生まれつきの才能ではない。

この1文を読んだとき、ハッとした。やっぱりそうだよな、と。わたしが今までなんとなく思って意識してきたことって間違ってなかったよな、と。

「あの人の能力いいな」と思うことがあれば、それを自分も手にしたいなと思うのであれば、やっぱりそれ相応の知識や経験を得る努力をする必要がある。指をくわえて「うらやまし~」って見ているだけの人生なんて、わたしはごめんだなって思うから。

現状に甘んじることなく、日々研鑽できる自分でいたいなって思う。


ちなみに読んだのはこちらの本です。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。


この記事が参加している募集

読書感想文

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。