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日常の可能性、たぶん無限大なんだと思う

解像度の高い文章に憧れている。

わたしはなんでも抽象化してしまう傾向にある。
詳細を述べずに「色々」とか「たくさん」という言葉でまとめて、当たり障りのない感情の言葉を並べる。

他の人の文章を読んでいて「わたしに足りないなぁ」と思わされるのは、いつもきまって解像度なのだ。わたしはわたしの目線で物事を見ているから、わたし目線で書かれた文章が自分にとって理解できるのは当たり前。
だけど、それを第三者が読んだ時に果たしてどこまで理解できるのだろう?と考えた時、「誰にでもわかりやすい言葉=共通の感情=抽象的な表現」みたいな勝手に作ったオリジナル公式に当てはめてしまう。
だから、抽象的な文言を遣わずに、うまく例えを使ったりして解像度の高く書かれている文章を見ると「なるほどすごいなあ」と、もう到底かなわないなとい気持ちになってしまう。

目の前に起きたことをもっと分かりやすく、誰の目にも情景が浮かぶように表現するには、わたしにはまだまだストックされている言葉の数や、表現の引き出しが少ないような気がしている。
だから、もっと多くの文章に触れたいなって思うし、文章だけじゃなくて、例えば映画だったり舞台だったり、そういうものをもっと積極的に鑑賞したいなって思う。普段話す周りの人たちがどんな言葉を使っているのかを気にしてみるってのも面白そう。

そんな心持ちで日常を暮らしてみたら、実は学べるところって身近にごろごろあるんだろうなってことに気づいてしまった。日常の可能性、無限大。

わたしはもっと毎日を面白がりたいし、そんな毎日を言葉に残しておきたい。
だから、何にでも貪欲に生きていこうと思う。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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