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心に残った記事は自分だけに留めたくないから

世の中はたくさんの情報で溢れている。色んなサイトで様々な記事が掲載されている。多様なSNSで色んな人があらゆる発信をしている。

見たくもないものを目にすることもあれば、自分が欲しいと思っている情報がこの膨大なインターネットの中からなかなか探し出せないこともある。

どんな文章に触れるのか、どんな記事に出会えるのか、そういうのも、もはや運命なのでは、なんてことを最近よく考える。

たまに、読んだ記事で「お!」と思うものがある。これは面白い、これはためになる、今のわたしに必要な情報だった、みたいなもの。「みんなにも読んで欲しい!広めたい!」って思うものはTwitterでシェアしたりするのだけれど、そこまでのものはないけれど、個人的に誰かとこの気持ちを共感したい、わたし以外の誰か1人でもこれを読んで欲しい、みたいな気持ちになることがある。

そんな時にはいつも決まって旦那さんにLINEで記事のURLを送信する。別に読んでも読まなくてもいいのだけれど「今日のわたしはこんな記事に出会って"お!"と思いました」みたいな意図で、URLだけをポンと送る。彼はその場で読むこともあれば、通勤の電車の中で読むこともあったり、数日間寝かせた上で読むこともある。そして彼も、何か心に引っかかった記事があれば、わたしにURLを送って来てくれる。

これは別にお互いに「こうしよう!」ってルール決めをしたわけはなく、自然発生的にするようになったもの。相手が「おぉ、こんな記事読んでるのか~」とふむふむって読むこともあれば、「これは今のわたしに必要だった!」と思いながら読むこともある。

身近な人が同じ文章に触れているってことは、それだけで共通言語を持てているということ。「あの記事についての話題」を家で話すことが出来るのは、それはちゃんと読んで知っているから。読まないと知らないことでも、読んでいるから知っている。そういう意味での共通言語。

彼とわたしはこうした記事の共有だけではなくて、わたしのKindleのアカウントも共有している。わたしが勝手に購入した本を彼が勝手に読んでいるってだけの話なんだけれど、お互い同じ本を読んでいるから、自然と「あの本にも書いてあったことなんやけどさ~」と会話が始まったりする。

同じものを読んでいる、共通の認識があるっていうだけで、会話の幅が広がる。そういう感覚が同じ人が旦那さんで良かったなって思うし、自宅でそんな話が出来る人がいるのが嬉しい。というか、最近は在宅勤務で全く外にていなくて生身の人間と話せるのは彼しかいないって感じだから、会話の幅が広いのは結構救い。何もない時は「今日はどうやった~?」「ん、普通」で終わっちゃうからさ(笑)

価値観が近い人が一緒に住んでいるっていいなって思う。価値観が近いから一緒になったのか、一緒に長い時間を過ごしているから価値観が似通ってきたのか、はたまたその両方なのかはわからないけれど。

これからもほどほどに、色んな情報に触れて、色んな記事を読んで、そしてシェアしていきたい。


そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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