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本当はお土産から解放されたかった

久しぶりに体調不良以外での有休を取った。

秋分の日と週末のお休みの間の平日の金曜日。こういった日に有休を取ると4連休になるって分かっているからこそ、なんだか有給取得の申請がしづらくって、今まで避けていたりした。

だけど、今回はえいやっと勢いで有給申請をして、ちゃんと自分の意思でお休みを獲得した。そして、訪れた4連休を使って、旦那さんと2人でお出かけすることにした。こんなご時世だし、わたしは妊婦の身だしってこともあって車で行けるそんなに遠すぎない場所へ。きっと子供が生まれたら2人でお出かけすることなんてなくなるだろうって思ったから、まだ動ける今のうちに、っていう気持ちもあって。
この束の間のお出かけについてはまた改めてnoteで旅日記として記録を残そうと思っている。今日の段階ではまだ写真の編集が一切手つかずなので…(笑)



まるっと1日お仕事をお休みしてお出かけをしてみて、ふと思ったことがあった。

わたしは数ヶ月前から完全に在宅勤務に切り替えているから、全く出社をしていない。そしたら「職場にお土産を買う」という必要性に駆られないということに気づいてしまった。
そして、その事実に対して「え、何これめっちゃ楽じゃん」と思っている自分がいることにも気づいてしまった。

つまり、わたしにとってお土産を購入することは、やりたいとかやりたくないとかじゃなくて「義務」になっていたんだなってこと。

ただ、ここでのお土産は「職場に持って行く小袋で配れるタイプの程よいお菓子」に限った話。
そうじゃなくて、旅先で見つけた素敵なモノを「これ、あの人にプレゼントしたらとっても喜んでもらえそう!」とか、そういう具体的な誰かの顔を思い浮かべて購入するお土産はここでは別の話。誰か特定の人のためにお土産を選ぶのは楽しいなって思うし、買って帰りたいって思うものがあるのならそれは全然義務じゃないから。

この「職場で配る用の程よいお菓子のお土産」を買うのが煩わしいと思ってしまうのはどうしてなんだろうって、お風呂でシャワーに打たれながら考えていたら色んな思考がぐるぐるしてしまったので、ここに書き残しておく。

そもそも有休を取得することが申し訳ないことだと思っていた

労働者の権利である有給休暇。ただ、それを取得することは、わたしの中でどこか申し訳ないという気持ちがあった。権利なんだからそんな気持ちにならずに取得すればいいとは思うのだけれど、わたしがお休みすることで代わりにわたしの分の仕事を担ってくださる方がいるんだと思うと、どうも手放しで「休みまーす!」って気持ちにはなれない自分がいた(そんなの持ちつ持たれつなんだから気にしなくていいのにね)。
新卒1年目で配属された部署全体がそんな感覚を持った人たちばかりが集まっていたこともあって、その意識がずっと刷り込まれていたのだと思う。
時代も変わって職場の雰囲気も制度も変わったけれど、当時はまだ「数字が上がっていない人は長時間労働してでも数字を作れ」みたいな根性論がまかり通ってしまうような部署だった。定時なんてあってないようなものだったし、サービス残業も当たり前、自主的に休日に出社して仕事していたら「頑張ってるね~」って褒められる(ただし無給)ような環境だった。
だから余計に、早く帰ることは悪、無論お休みするなんて言語道断、なんて雰囲気があった。何か特別な事情があってお休みするのは仕方がないとして、有休を取得してどこかにお出かけするなんて、ちょっと怖くて言い出せなかった。

お詫びの品としてのお土産

だから、有休を取得してお出かけをするのであればお詫びの品としてのお土産を配ることが暗黙のルールみたいになっていた。「お休みいただいちゃってすみません」という感じで配るお菓子。ちゃんと部署全員の人数分。
一番びっくりしたのは「先日お休みもらってディズニーランドに行ってきたので」とディズニーのお菓子を配られたこと。その時のわたしが働いていたオフィスは、電車で20分もあれば舞浜駅に着くような場所だったというのに。そこまでしてお土産を配ることって重要なのか、と、衝撃を受けたことを今でも覚えている。

義務でのお土産に荷物が重くなる

そんな感じだったから、職場で配るお土産に良い印象が全くない。そりゃ手頃なお菓子をもらえたら仕事の合間に食べられるから嬉しいなとは思うけれど、毎度毎度色んなことを考えてお土産を購入しなければならないというプレッシャーがすごく嫌だった。
楽しく過ごした旅の終わり、お土産屋さんで「部署の人数は20人だから、この箱のものだと足りないけど、あっちだと小袋じゃないから配りづらいし、こっちだと割高だし…」みたいなことを考える。帰りの電車やバスやフェリーの時間を気にしながら、義務感でお土産を選ぶ。
帰りって疲労感でいっぱいになっているから荷物の重みに拍車がかかるなぁと思っているのだけれど、お土産を買うことによって紙袋がまたひとつ増える。良い感じにパッキングをしてカバン1つにまとめられたことに喜んだとしても、最後の最後でお土産の紙袋という手荷物が増える。しかもそのお土産は自分が義務感で「買わなければ」と思って選んだものだから、なおさら邪魔に思えてしまう。これが無かったらもっと帰路も楽かもしれないのに、なんてことまで考えることも1度や2度ではなかった。

本当はお土産から解放されたかった

本当はお土産なんか買いたくなかった。少ないお給料でやりくりしてやっとの思いで旅費を捻出しているのに、さらにそこからお土産を買うためにお金を遣うということをしたくなかった。とにかく「職場に休んだお詫びの品として持って行くお土産」の存在自体が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

だから今回、有休を取得して4連休を意図的に作り出したにも関わらず職場へのお土産を一切気にしなかったことに対して「めっちゃ楽!」という思考になったんだと思う。今は部署も異動したし、職場環境も随分改善されたから、そもそも有休を取得することに対して申し訳なさを感じることも、義務感でお土産を配る必要もないんだけど。

社会人の初めの数年で染みついてしまった習慣や考えって、自分の中に思っていたよりも根深く染みついてしまっていたんだってことを、今回お土産というものを通して実感した。本当、びっくりしちゃうよ。

でも、こういう思いをしてきたからこそ、どこかにお出かけするという友人知人に対して「お土産楽しみにしてるね!」なんて口が裂けても言えない自分がいる。だって、それを言われたら買わずに帰るなんて出来ないじゃんって思ってしまうから。わたしだったら多少無理してでもお土産をなんとか工面しようとしてしまうから。

なんて、ただの個人的な意見だし、この世の中には素敵なお土産がたくさんあると思うから、いいなと思う人はどんどん買えばいいと思うし、配りたい人はそりゃもうじゃんじゃか配ってしまえば良いと思っている。
良いも悪いも好みも何もかも、人それぞれだからね。

予想外だった在宅勤務の恩恵

とにかくわたしは、在宅勤務のおかげで「義務感でお土産を買う」という事象から解放された。こんなところでリモートワークの恩恵を受けるだなんて思ってもみなかったから、びっくりしてこんな分量のnoteまで書いてしまった。おかしい、こんなはずじゃなかったんだけどな(笑)

これだけ書いたら随分満足したので、今日はここで終わり。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。むしろ付き合わせてしまってすみませんという気持ち。

 

そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。