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打席に立ち続ける事って意味があると思うんだ

何かを続ける事、努力することって、ものすごく難しい。

何か新しいことを始めた時、なかなか芽が出ないことや、すぐに結果につながらないことってすごくたくさんあると思う。

そんな時「果たしてこのやり方は合っているんだろうか」ってすごく不安になる。

努力の方向性を間違えると意味のないことに時間を使ってしまうことになるけれど、正直この方向が正しいのかどうかなんて、結果の出ていない時になんか分かりっこないよね。

だからこそ色んな本を読んで知識をつけてみたり、先人を参考にしてみたり、自分なりに思考錯誤するんだと思う。

そう考えながらわたしは日々色んな人のnoteとかブログとかを読んでいるのだけれど、先日、ふと見かけたnoteに「noteの毎日更新なんて意味がない」って書かれている人がいた。
その記事が言うには「毎日更新をしている人の記事はひとつひとつの中身が薄い。それなら毎日こだわるんじゃなくて数日に1回でも、数週間に1回でも、質の良いものを書いた方が良いに決まってる」とのことだった(※大幅に要約しました)。
まぁ、確かに一理あるよなぁとは思う。どうでも良い駄文を生成し続けるよりも、書けるのであればしっかり書いた方が良い。
それはその人の意見だし、そう思うのであれば実践したらいいのだと思う。

でも、大切なのは「なぜこれを続けるのか」、わたしであれば「なぜnoteの毎日更新をするのか」っていうwhyの部分だと思うわけで。
それが明確なのであれば、他の人の意見は参考程度にしておいて、自分が思う通りに進んでいけばいいのだと思う。

わたしは残念なんだけれど、時間をかけたとて良いものを書ける人ではない。毎日まいにち書き続けて、たま~~~~~~~に「良いもの書けたような気がする」って思えるものが生まれるくらい。

毎日まいにち休まずに打席に立ち続けてヒットを1本打てるかどうかのわたしが、気まぐれにバッターボックスに立ったところでヒットを打てる確証なんて無い。ふいにやってくるチャンスでヒットを打てる保証なんて、どこにもない。
それならば、雨の日も風の日も地道に打席に立ち続けて、バッドを振り続けるのが、結局は一番の有効な手段なのだと思っている。

下手なスイングで振り続けたってボールはバッドに当たるわけがないから、自分のスイングが正しいのかどうか、これで良いのかどうか、常に軌道修正は必要だと思う。だけど、打席に立つこと自体を辞めてしまったら、1塁ベースにだって進めない。

だから、たくさん試行錯誤しながら、トライアンドエラーを繰り返しながら、時には失敗したりもしながら、それでも地道に続けることには意味があるのだとわたしは信じたい。

何か自分が頑張っていることがあって、でもどうしても勝てない先人がいたとしても。いつか先人よりも自分の方が長く続ける未来がやってきたら、自分が一番になれる可能性ってゼロではないはず。

何を始めるにも、きっと遅すぎる事って無い。だって、人生で一番若いのは今日なんだから。

なんてことを考えている今日この頃。

そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

 

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