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いつも通りの「普通」の日常が見てみたいから

何気ない日記をひたすらに毎日綴っている。もう何びゃく日も連続で書き続けていれば、それはもう色んなことがある。

書きたくて書きたくてたまらない日もあれば、特に何も書くことが思いつかない時だってある。「これは絶対読んで欲しい!」「がんばって書いた!」みたいな気合いの入った記事もあれば「これは出来るだけ誰にも読まれたくないなぁ」みたいな出来栄えの時だってある。「今日はまじで書く時間取れない!やばい!」って日もあれば「今日は暇だしすることないし、よし、1万字書いちゃうぞ~」みたいな日だってある。

毎日書き続けていたら、その時々で状況もコンディションも何もかも違う。

残業で遅くなって、帰宅したのが23時55分で、4分で1記事書きあげて更新したこともある。もはやその日のうちに仕事が終わらなくて、24時目前に会社のトイレにかけこんでとりあえずnoteを更新した日もある(その日は結局朝の4時まで仕事したんだったっけな、激務だったな、あの頃……(遠い目))。飲み会の帰りに急いで駅のホームでnoteの画面に必死に文章を打ち込んでいた日もある。

そんな風に物理的に書く時間が取れない日もあれば、時間は余裕であるのに、何も書く内容が思いつかない日だってある。「今日は普通に職場行って、普通に日中仕事して、普通に帰ってきて、普通に夕飯食べてお風呂入って今だな、特に変わったこと何もないなぁ、何書こうかなぁ」みたいな。「なんだかうまくいかないなぁ」ってもやもやしている時って、だいたいいつも「今日は何を書こう……」現象が起きる。普通だったから特に何もないなって。でも、調子が良い時は、その普通の中からトピックスを探すことが出来る。自分が何気なく過ごした時間を、「普通」だと一言で終わらせられるその日常を、なんだかそれっぽく書くことが出来る。

毎日更新し続けてわたしが身についたと思う力は「わたしの普通を言語化する能力」なのかな、なんて最近は思っている。

自分にとっての普通って、実は他の人にとっては全然普通じゃなくって。いつも通りの日常であったとしても、全く同じ時間の使い方をして全く同じ感情を抱く人なんて、この世に2人といない。わたしの当たり前はわたしの中だけの当たり前なのであって、平凡だと思っているのはもしかしたら自分だけなのかもしれないのだ。

だからこそ、Youtubeや雑誌でも「バッグの中身」「モーニングルーティーン」「ナイトルーティーン」などが取り上げられるんだろう。
みんな、誰かの当たり前やいつも通りの「普通」の日常が見てみたいんだ。

だから、わたしにとって普通だと思っている日常でも、もしかしたら誰かが読んだときに面白いと感じてもらえるかもしれないし、ひょっとしたらどこかで誰かが救われていることだってあり得る。この世は広いし、たくさんの人がいるから、どこかで何らかの需要があってもおかしくない。

だから、わたしは自分の普通の日常を、当たり前だと思っていることを、こうして毎日書き続けている。わたしの普通は決して普通ではないのかもしれないという意識を持つと、なぜだか普段の日常にちょっと愛着もわいてきたりする。

何かにとらわれるんじゃなくて、自由な感じで、これからも好き勝手書いていきたい。


そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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