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好きな時に好きなことを好きなように書く

いつからだか、ダッシュボードの数字を気にしなくなっていた。

noteを始めてから1年くらいは、結構の頻度でダッシュボードを眺める日々だった。どの記事が読まれているのか、どんな内容のことを書けばスキをたくさんもらえるのか。そんなことをダッシュボードのビュー数やスキ数を眺めながらよく考えていた。

どうすればわたしのnoteはもっとたくさんの人に読んでもらえる?共感してもらえる?どうすればフォロワーが増える?

たくさんたくさん考えた結果、わたしが出した答えは「そんな数字は気にするもんじゃない」だった。

せっかく書くのならそりゃいいものを書きたいし、どうせならたくさんの人に読まれたいし、フォロワーも多かったらその分読んでもらえる人が増えるわけだし、って思う気持ちもあるけれど、そういう数字の面ばかりを気にしていたら、書くものも書けないなぁってことに気づいた。というか、最初っから気づいてはいたけれど「それでもやっぱりたくさんの人に見てもらいたいし…」って気持ちが最初の1年くらいは抜けなかった。

多分、毎日更新をして1年が経つか経たないかくらいの頃から、本格的にそういうのは気にしなくなったような気がする。
仕事や日常でものすごく忙しかったりしていた時、noteをその日のうちに更新するのに精一杯で、クオリティだとかビュー数だとかを気にしている余裕がなかったからなのかもしれない。

ダッシュボードを見ない日が続けば、そういった数字面は全く気にならないのがデフォルトになった。

今現在もたまに気が向いた時にチラッと見るくらいだし、見たところで「ふーん」としか思わない。3年前くらいに書いた記事が今になって異様に伸びていたりとかもするから「お、どっかで何かが引っかかったのかな?」って思うくらいで、そこから何か深く詮索したりすることもない。

仕事で書いている文章ではないし、わたしのnoteはあくまでもわたしの趣味の一環であり、わたしの単なる日常の思考の記録なのだから、これくらいで良いのだと思っている。

もっと真剣に「このアカウントを伸ばしたい」「いつまでに〇人のフォロワーを達成したい」「この記事では最低でも〇スキはもらわないと!」みたいな意気込みで運用しているのであれば、もっと色々やり方は変わるのかもしれないけれど、そんなに力むとわたしは何も書けなくなってしまうから。

程よく楽しく自分の気分が乗っているタイミングで好きなように今日も駄文を生成する。それくらいが続けられるのにちょうどいい塩梅だよな~と、今のわたしは思っている。

でも、もしかしたら今後何かしらわたしの中でも変化があって、方向性は変わるかもしれない。バズらせてやる!って意気込んで気合いの入った記事を書き始めるかもしれないし、もっとやる気がなくなってものすごく短文になることだってあるかもしれない。

これから何があるかは分からないけれど、とにかく今は自分のペースで、好きな時に好きなように書きたいことを書き続けていこうと思う。

そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

 

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。