見出し画像

大学時代のダンスの話。

こんにちは、小島あやめです。


大学時代のダンスの話を
書いてみようかと思いまして。

私は大学時代に大学日本一を4つ獲っています!
これはさすがに自慢しています!笑

1人で一つ、ユニットみたいなので一つ
チームで二つです。
あと、大きい全国大会で、ベスト4までも登り詰めました。

私は主に、ダンスバトルという1人でその場で流れた音楽に即興でダンスをする大会に出ることが多いのですが
大学時代は、チームを組んで出るダンスバトルや
決まった踊りを見せるコンテストなどにも出ていました。

本当に頑張りました。
自分を褒めることなんて滅多にありませんが
ダンスの大会に関しては珍しく自分を褒めています笑

大学時代は本当にダンスに全てを捧げていました。
もっと遊んでおけばよかったと今になって後悔しているくらい。

でも、やってよかったです。
ちゃんと結果がついてきました。
その中の一つの大会について書きたいと思います。



中学生の頃から、大学生になったら出たい大会がありました。
DANCE@LIVEという日本でも1番大きい大会です。

それの大学生3人一組で戦うRIZEサイドというのに出るのが私の夢でした。

そのために大学に入ったようなものでもあります。
大学の名前を背負って戦う大会です。
決勝は両国国技館です。

絶対に両国の舞台に立って
トロフィー(この大会の場合は大きい金の盃)
それを掲げたいとずっと思っていました。

大学にはいって、その大会に出るために
ダンスサークルを覗きに行きました。

そしたら、大学入る前に出た大会で一緒に予選上がった方が、そのサークルにいて、
これは運命だ!この人と組むしかない!と確信して

サークルに入るつもりはなかったけど
サークルに入りました。

その日から、その先輩にたくさんアピールをしました。(まるで恋愛のように笑)
いろんな踊りの可能性を見せて、
大会に出たい意思を熱心に伝え、
たくさん会話をしました。

その先輩は他の人と組んで出る予定だったみたいでしたが、
私の熱意に負け、他の組んでた先輩たちも
勝てるならお前らで組めと言ってくださり
その先輩とチームを組むことになりました。

そしてもう1人、サークルで1番うまい
別ジャンルの先輩が加わり

サークル内全員が応援してくださる
最強チームとなりました。

しかし、東京の大学にはたくさんうまくて強いダンサーがいて
最初の一年は予選で敗退しました。

この大会はポイント制で、勝ち上がることにポイントがもらえて、上位ポイント獲得者が
決勝の両国へいけるシステムでした。

一年に3回予選があって、
その中でポイントを獲得しないといけなくて、
プラス、踊る時は一人一人ですが
ルーティーンという揃えて踊る瞬間もなくちゃいけなくて

そのルーティーンが弱いと、いくら個々が強くても負けたりしてしまう大会で

1年間ずっとその大会のことを考えていました。
ありがたいことに注目されているチームだったし
歴代の先輩たちの結果も背負っていたので
相当プレッシャーでした。
先輩も私もどんどん心がすり減って
喧嘩ばかりしていたし、泣いてばかりいました。

次の年、出るか出ないか会議をしました。
幸い喧嘩をしても仲直りできるくらい
関係は良かったので、
やっぱり勝ちたいよな、あの舞台立ちたいよなと
挑戦することにしました。

個々の力も必要でしたが
なによりもチームワークが大事な大会だったので
次の年はしょっちゅう遊んだり、会話をしたりして
仲も深めました。

過去の動画を見て研究をしたり
予選の定番で流れる曲みたいのがあって
その曲のためのルーティーンを作ったりもして
対策もたくさんしました。

そして挑戦した2年目、
決勝進出を決めました。

1年間で3回予選があるといいましたが
この年は1回目からポイントは獲得できていましたが
ギリギリの位置にいて
最終予選で、別のチームが負けるor自分たちが優勝するしか決勝進出への道がなく
最終予選前は少しピリついていました。

最終予選の朝もいつも通り
先輩にモーニングコールをしました。
(チーム内で私の担当でした)
しっかりと寝坊をして遅刻してきました。
緊張がほぐれました笑

でもその日は、
ありえないくらい3人とも踊りが乗っていて、
これはあるなと思いました。
ベスト4あたりで、ポイントで競っていたチームが負けました。そこで決勝行きは決まりましたが
どうせなら上位通過しようと、
そして競っていたチームが友達だったのでその分まで気合いを入れました。
結果は準優勝でしたが関東2位通過で決勝行きを決めました。
(関東は大学が多いので4組が決勝に行けます)

苦労していたことを知っていた人たちが
感動して駆け寄ってきてくれて
LINEや電話をくれたりして、
今でも忘れない最高の日でした。
支えてくれた人たちに感謝が止まりませんでした。


決勝まではとにかく強いルーティーンと
個々の能力強化の日々でした。
衣装もかっこよく揃えようと買いに行ったり
相変わらず喧嘩もしたり
3人で大会に出て調節したりしました。

迎えた決勝戦。
この日は先輩たちも早起きして、なんなら私より早く会場についていました。
たくさんの人が応援にきてくれました。


結果はベスト8で終わりました。
原因は完全に緊張でした。

ベスト16は国技館の外の小さいステージで
その時は完璧なチームワークでしたが
大きい会場に完全にのまれました。

私は大きければ大きいほど
人がたくさん見てれば見てるほど
テンションが上がって燃えるのですが
先輩たちは緊張していました。
私は気づいていたけど、声がかけられないままでした。
いつもならもっといい踊りするのに、可もなく不可もなくな踊りをしていました。
あと普通に曲運も悪くて、かましきれていない感じでした。
(ダンスバトルの大会はどんな曲が流れるかわからない)

その上
ルーティーンの入りのカウントがズレて
ぬるっと始まってしまって、焦ってしまって。
私もヤバいぞと焦り始めた時にはもう遅く
相手のペースにのまれ、会場にものまれました。

最後のターンに私が踊ってとどめを指す手法をとっていたので
私がめっちゃかませば、ワンチャン勝てていたかもしれませんでした。
でも、私もさしきれませんでした。

悔しかったです。
ストレート負けでした。
審査の瞬間の相手チームの色の札がバーっと上がったあの光景は今でも覚えています。

裏に帰って、1人トイレで泣きました。
私がもっとうまければ…
先輩たちにもっとたくさん踊らせてあげたかった…
自分のダンスの力のなさに落ち込みました。

大好きな先輩と国技館に立てたこと。
一緒に戦えたこと、たくさんの時間を過ごせたこと
本当に宝物になりました。
そして私1人では絶対に見れなかった景色を
見させてもらえて、感謝しかないです。
なによりずっとかっこいい背中でした。
一番の特等席で先輩たちのダンスを見ていられて幸せでした。
打ち上げではずっと先輩に抱きついていました笑
そのくらい大好きな先輩たちでした。
今も仲良しです!

次の年
先輩たちはラストイヤーでしたが
もう疲れたからやめようとのことで
その年は出ませんでした。

私は他の人と出るか迷いましたが
今の踊りで通用するのかという課題が浮き彫りになり
一旦やめて、踊りを見直すことにしました。

サークルに教えにきていた先生のような先輩のようなダンサーの方が
もっと上にいくダンスを一緒に練習しないかと
誘ってくれました。

私はついていくことにしました。

それは、これまで練習してきたものを全て捨てて
ゼロから基礎を立て直すものでした。

でも私は大学時代に結果を出したい気持ちがありました。
いくら周りの人にうまいと言ってもらえても
目に見える結果が欲しかった。
あと、できればもう一度全国へ行って
優勝のトロフィーを掲げたかったからです。

大学時代なんて遊んでなんぼ、飲み会してなんぼ
なのに私は
授業が終わったら毎日ダンス練習。
サークルにも行かずに自宅で自主練。
たまにサークルに行っては友達にバトル相手になってもらい、何戦もしてはまた練習。
まるで高校の部活のようでした。
甲子園やインターハイを目指しているみたいな。

でもこれが私はけっこう楽しかったのです。
もちろん辛いこともたくさんありました。
でもこれを乗り越えたら何かありそうな予感がずっとしていました。

基礎を建て直している期間は
ダンスの大会に出ても全く勝てないし
予選は上がれないし
周りにはレベルが落ちたとか言われるし
(大学一年の頃から、ありがたいことに期待の新人的ポジションだったので、少しでも結果が出なくなるとたいしたことないみたいに言われたりした)

ストレスがどんどん溜まりました。

でも指導してくれる先生や、その周りの先輩方が
絶対に大丈夫、良くなってる、できる!
と声をかけながらそばにいてくれました。
とにかく必死に毎日コツコツ練習しました。
練習したくなくて寝込んだ日もありましたが
それでもなんかけっきょく練習をしていました。

するとある日を境に、
大会でたくさん勝てるようになりました。
予選通過の常連になり
大会でも上位になるようになりました。

作り直した土台がうまく機能して
その上もともとあった土台とうまく混ぜることに成功しました。

200人くらいいる大会もベスト16の常連になり
予選通過も10位以内だったり
大人の人たちがいても予選一位通過したり、
勝てなかった人たちにも勝てるようになりました。

コツコツ努力した成果がちゃんと出て
自分もビックリでした。

そこからは、大学生のみの大会は常にベスト4以内
大学代表戦は、大将として全勝し
大人のいる大会でも予選上位通過のベスト16以上

そして大きいタイトルも個人で獲れて
大学ダンサー界ではぶいぶい言わせていました笑

嬉しかったし、努力が報われた結果でした。
本当に頑張ってよかったと思いました。

技術の練習以外にも
大会などを分析して確実に勝てる試合もしてきました。
でたでた分析するタイプのやつ!と思ったそこのあなた!

日本の大会は、結果を出していたり、名が知られていないと自分の好きな踊りができないところが少しありました。
(どこの文化にもあるんだなぁ)
それが悔しくて、
じゃあまずは結果を出してやるよと分析にも力をいれたというわけです!

それも功をなして、勝つようになってからは
自分の好きな踊りで戦えるようにもなりました。

そう!
私はとんでもなく負けず嫌いなのだ!笑


心残りが一つありました。
ずっと夢だった大会がベスト8で終わっていることでした。
それもちょっとやり残した感じで。

私のラストイヤーは3人から5人にルールが変わって
まず人を集めるのが大変だし、
ルーティーンを作る大変さも知っているし、
ちょうど他の大会のチーム練習もたくさんあって
スケジュール的にもカツカツで
とても悩みました。

でも、やっぱ出ておきたいなと思い
サークルの子に声をかけました。

私の代のサークルの人たちは練習熱心の人が多くて
自分から外の大会に挑戦したりもしていて
強い人たちが揃っていたので
正直勝てるかもとは思っていました。

声をかけると、みんな出たかったようで
二つ返事で集まってくれました。
でも仲悪くはなりたくなかったので
思い出作りの気持ちくらいにしようと

練習も詰めすぎず、ルーティーンより
個々の力で勝ちにいこうとみんなで決めました。
それでも負けるなら、それはそれだと約束して
最終予選だけ臨みました。

ここで優勝をすれば一発で国技館にいけるので
これでダメなら、まぁ仕方ないくらいの気持ちで出ました。

優勝しました。
ちゃんと一発で国技館行きを決めました笑

前の2年間の苦労はなんだったんだ!とも思ったけど
これで一歩また近づいたぞと嬉しかったです。

思い出作りにしては強すぎるメンバーでした。
他の大学の人たちから、めっちゃ叩かれました笑
ズルすぎるとか、出るなよ!とか言われました笑
(でも言ってきた人たちはみんな友達なのでおふざけです笑)
スターが集まりすぎちまってよ!とかカッコつけて
より火に油を注ぎました笑

そして決勝までの期間も喧嘩しない程度に練習して
個々の力を鍛えて、2度目の決勝に挑みました。

2度目の国技館。最高の空気!



結果はベスト4でした。
優勝はできませんでした。
でも、不思議と悔しい気持ちよりも
楽しかった気持ちの方が強くて

終わってからもみんなでのんきに打ち上げをして
解散するくらいに
すっきりと終われました。

大学生終了!青春さよなら!
みたいな気持ちの方が強かったんだと思います。
良いメンバーに恵まれたのもあると思います。

そこからも卒業までの期間
いろんな大会に出たりして楽しみました。
相変わらず負けた勝ったで一喜一憂し
朝まで踊り狂うというのを繰り返しました。

海外の大会に挑戦しようと決めていて
お金を貯めていたんですが
コロナ禍になってしまい、今だにそれは叶っておらず…
ああ、海外行かないとな。忘れていた…

そんな大学時代でした。
ダンス三昧、ダンス馬鹿!

簡単ではない道のりだったし
ここまでやらなくてもよかったとも思うけど

やってよかったの方が強いです。
サポートしてくれたみなさんもありがとうございました。



スラムダンクを最近読んで、大学時代のダンスのことを思い出しました。
もちろん、もっと大学時代のダンスの話は分厚いのですが、
この大会が1番インターハイ感があったので(?)


スラムダンクを読んで、最近の私は努力するということをしていなさすぎだと思いました。
大学の時のあの努力はどこへいったんだ。

もちろん当時は明確な目標があったからですが
それにしても怠惰な日々を送っている気がしました。

今一度自分を見直して
何かどうにか成長できるような努力をしないと
私は終わってしまうと思いました。

昨年の11月の終わり頃
実は何か糸が切れた感覚があって
そこからなかなかマックス元気がでなくなりました。

これかなという原因は少し思いついているんです。
でも実際それは私には関係ないのに
なんでそれで落ち込んだのか今だに分かりません。

そこから少し心を休めてみることにしました。
でも、なんにも変わらない。
ただ時間だけがすぎて
どんどん存在が薄れていく感覚があって
焦って心を戻す努力をしました。

一度ポーンと頑張れました。
でも持続力がなくなってしまって、なんだか少し沈んでしまう、よくない日々に戻ってしまうようになりました。

なんでなんだ。悔しい。
こんなはずじゃない。

そんなことは言っていられません。
甘ったれです。
そんな時間もありません。

なので私はまた無理にでも
努力をして上にあがらなければいけないのです。
私はそうやって生きてきました。
これからもそうやって生きていくんです。
超超超負けず嫌いなのです!

頑張ります。
とにかく頑張ります。

大学時代の
コツコツ努力をして
結果をつけた私ならきっと大丈夫。
絶対にできる。
と自分を鼓舞して。



今日も明日も。




諦めたらそこで試合終了ですよ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?