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眠れない夜に

私が眠るのは大抵3時前後だ。
ようやっと眠りたいと思える時間。夜も深まって、誰もが眠りの底にいる。

そんなときに読みたくなるのが川端康成の「心中」だ。

これは『掌の小説』といういわゆる短編集に収められている一編である。
簡単に中身を述べると以下の通りだ。終わりまで書いているので申し訳ないが話の内容を気にせずに読みたい人は是非とも『掌の小説』を買って読んでいただきたい。
そしてこの記事のことは忘れて欲しい。

以下、「心中」の大雑把な内容である。

夫と別居している状態の母娘。そこに離れた地に住む夫から手紙が来る。
最初は娘にゴム毬をつかせるなという手紙。その音が心臓を叩くのだという。母親は娘からゴム毬を取り上げた。
次に娘に靴を履かせるなという手紙。その足音が心臓を踏むのだという。母親は娘にフェルト草履を与えた。娘は学校に行かなくなった。
その次には瀬戸物の茶碗を使わせるなという手紙が届く。その音が心臓を破るのだという。母親は自分の箸で娘に飯を食わせた。

ここで少々母親の回想が入る。割愛。

最後に届いた手紙。そこには一切の音を立てるなと書いてある。何も、家の時計ですら音を立てるなと。
母親も娘も、最終的には一切の音も立てなくなった。永久にである。
そして不思議なことに離れた地で暮らす夫も死んでいた。

そんな話だ。

離れたところにいる人間が共に心中できるものか、なんて感想はおいておいて。私は死というものが好きなので心中も漏れなく好きなのだが、なによりこの話に関しては温度の変化が好きだ。
夫に翻弄される母娘の日常。そこには母娘だけの確かに冷え切っていない美しい温度があって、まだ温かい。しかし読み進めていくうちにその温度はだんだん下がっていく。最終的には死ぬので、読後感としては風穴を通り抜ける風の冷たさというものを感じるのだ。
命の温もりなどどこにもない。あるのは死という冷たい温度だけである。

割愛した部分には、母親の荒れた行動が描写されている。瀬戸物茶碗を投げ捨てるのである。投げ捨てて結果割れてしまったこの音は、夫の心臓を破るのだろうかと。じゃあこっちの、この音はどうなのかと。完全にまいってしまっている母親の姿が描かれる。

哀れであると同時に、人が感情を発露させる姿に美しさを覚える。
いかにも人間という感じする。そんな姿が、私は好きだ。
恐怖と美しさにも紙一重の差を感じる気がするのは私の気のせいだろうか。

気のせいだと思うのなら、それでいい。
それはあなたの感性だ。
私の感性を否定しないのなら、それでいいのだ。

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