ことばを味方につけるために、私は今日も小説を読みたい
最近、浴びるように小説を読んでいる。
愛書家とはお世辞でも言えない幼少期を過ごしたけれど、ひょんなことから大学入学とともにアルバイトで執筆をはじめ、ことばと 隣同士で歩んできた そんな5年間だったように思う。
書くことを習慣にすると、自分は全然書けない ということがわかってくる。
そして、本を少しずつだが読むようになった。
そこで小説を読むようになって気づいたことをテーマに、今日は書いてみたい。
*言葉は、どこにもいかない。おまけに、持ち運べる。
私は音楽や映画も大好きだけど、やはりあらゆる芸術(表現)の中でも、
圧倒的に本が好きだ。言葉は、どこにもいかない。
音楽も映画も、「あ、良いな。好きだな。」と思った瞬間に過ぎ去っていってしまう。ゆったりとした楽曲や、映画もあるけれど、それらのペースに自分の身を任せなければいけない、というか。待っていてくれない。それに比べて、本は自分の歩みに合わせて、心が動いた言葉やページに立ち返ることができる。
お気に入りの言葉は頭の中に記憶しておける。必要な時に応じて頭から取り出して、自分に言い聞かせるもよし、他人にプレゼントしてもよし。持ち運びもしやすい。
*日常に文脈をつけたくなる
小説でしか味わえない、風景や人物、物事の捉え方というものがある。
「フレンチトーストが幸福なのは、それが朝食のための食べ物であり、朝食を共にするほど親しい、大切な人としか食べないものだから、なのだろう。」(江國香織)
繊細な描写に、小説を読んでいると たくさん触れることができる。ありふれた日常。その中の当たり前の出来事や、人々、景色。それらをもっと深く目の当たりにしたい。そんな時言葉は役に立つ。まだ名のない感情に言葉を与え、ストーリーを生むことができる。
*本の中では圧倒的に自由
「書物のなかに海がある。心はいつも航海をゆるされる。」
寺山修司のこの言葉に出会ったのは、大学2年生の時だった。私は自由という言葉にめっぽう弱い。
そして、本を読むことの醍醐味は、すべてこの言葉に詰まっていると思う。
書物の中では、自分はどこへだって行けるし、誰にだってなれる。未来にも過去にも移動可能だ。
この日常生活から乖離された、空間に船旅に出て行くような、そんな自由さは小説を読むことの愉しさの一つだと思う。
そしてやはり、良い言葉や物語に触れると、自分も書きたくなってくる。これがやっぱり本を読むことの最大の良さかもしれない。笑
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