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LGBTQIA+のプラスの意味

ニューヨーク5番街で見たレインボー

昔勤務していたNY5番街のルイヴィトンでは、私のようなストレート(女性に生まれ、自分は女性と自覚していて恋愛対象は異性)は少数派で、スタッフのゲイ割合が非常に高く当時のお店のトップをはじめ、男性スタッフのほとんどがゲイでした。ファション業界では色彩感覚のセンスが抜群に優れているゲイがたくさんいます。出勤時、まだ完全に目が覚めてない状態+スウェット姿で仕事に来る私(ユニフォームを会社に置いているので)をチラッと横目でジャッジしながら、大体同じ時間に出社のクリスは朝から良い匂いをさせ、頭の先からつま先までピカピカにキメて出社してきます。天井まで届く鏡の柱の前でモデル歩きでターンをし、”I look fabulous today!”「私は今日もイケてるわ!」と自分を本気で褒める姿に、日本人の私は(いい意味で)カルチャーショックを受けた事を覚えています。私はこのルイヴィトンで働いた数年間で、普通だと思っていたストレートの世界とは異なる、差別を受けても自分に正直に生きる人たちから多くを学びました。

今月はPride Monthにちなんで、LGBTQIA+について私個人の経験と、子育てのことについて2つに分けてブログを書きました。

オネエやノンケだけでは表しきれないレインボー

大学院でGender and Sexualityというクラスを履修しましたが、そこで①生まれてきた性別と②その人が「私はxxだ」と感じる性、③見た目(表現の仕方)、④身体的に惹かれる対象と⑤感情的に惹かれる対象はそれぞれ違うものであり、流動性もあるということを学びました。

このブログ内ブログ内でLGBTと書いてあるところはLGBTQIA+を意味しています。言葉の意味については詳しく説明しているサイトを見つけましたのでのでご参照ください。


日本ではビシッとスーツ、N Yではレインボー発散

話をヴィトン時代に戻しますね。こ店舗はその当時(2004)できたばかりのフラッグシップストアだった事もあり、国内外からの観光・ビジネス客も多く来店しました。ある日の午後、スーツでビシッとキメた日本人男性が来店しました。いくつかの財布のデザインやサイズを試しながら、NYにはビジネスでちょくちょく来ることや、ビジネス上での文化の違いなどを話していると、隣で接客をしていたゲイの同僚が”I saw you last night at xxx!” (xxxに昨夜いたよね!)と彼にウィンクをしました。 xxxはNYで人気のゲイバーで、それをすぐ横で耳にした私が驚いた様子をしていないのに安心したのか、「実は、、、」と自分は子供の頃から好きになる人は男の子で、その時は自分が病気か何かだと思っていた。地方出身で両親も厳しかったので、本当の姿を隠しながら良い大学を出て大企業に就職し、女性と結婚し子供もいる、いわゆる社会が認めてくれる生活を手に入れた、という話をしてくれました。

「ゲイであることを隠さないと大企業で成功出来ないし、欲しいと思っていた子供も持てないので。」

私:「奥さんは(ゲイであること)を知ってるんですか?」

彼女は知らないし、相手の家族にも申し訳なさすぎて言えないけど、彼女のことは人間的にとても好きで尊敬しているということは真実。ただ、日本で家庭を持って地位のある仕事に就くためにはゲイでは居られない。だからゲイのアイデンティティーは日本では隠して通して生活し、NYき来た時だけゲイバーでハジける、という二重人格のような生活をもう何年も続けている、と寂しそうに話していました。


ステレオタイプがもたらす束縛

これはもう20年近く前の私の経験なので、あれから日本もLGBTに対する理解がだいぶ広まって来たのは確かです。ドラマやテレビ番組でも普通にストレート以外のキャストが出てくるようになりました。ただどちらかというとTVの影響でゲイ=オネエ系の人、というイメージが強いように感じます。ストレオタイプはどの部類の人たちに対してのステレオタイプと同じように、その人たちを一つにまとめてしまい理解の幅を狭めます。例えば、私を含めるアメリカで暮らすアジア人が、‘Asian American’という言葉とそれに伴うステレオタイプに堅苦しい思いをする事がある経験に似ているのかもしれません。人間なのでLGBTの人々も十人十色だということ、「ゲイだからこうだろう」という先入観を捨てたいものです。

赤と黒のランドセル

アメリカでの同性婚反対者には宗教の教えに影響されている人が多いですが、日本でパートナーシップが認められている自治体は多くあっても、同性婚が未だに認められていなないのは何故なのでしょうか。未だに女性のリーダーシップは少なく、女性男性自体のステレオタイプが強く残る日本では、この決まった2種類の箱以外を想像することが難しいのでしょうか。

私が小学生の時は、赤と黒以外のランドセルを持っている子がいませんでした。赤は全然好きな色ではなかったけど、皆がそうしているし、他の色を見たことがなかったため疑問もつ事もなく使っていました。もし何色でも好きなものを選べていたら、もっとワクワクしてランドセルも大事にしていただろうと想像します。
*ランドセルの選び方について次の記事も合わせて読んでみてください。

私のティーンの子供達の会話を聞いていると、自由自在に「ゲイ」とか「クィア」という言葉が会話に出てきます。男の子と付き合っていたと思ったら、次は女の子を好きになったり。相手を判断する基準に性別がないことが分かります。好きになった人がたまたま女性だった、という感覚です。プライドマンスには息子の中学校のエントランスに大きな虹色のバルーンが飾られていました。
*アメリカでは住む地域や学校によって、LGBTQへの感覚が違ってくるため私の経験は決してアメリカ全体を反映してるものではありません。

差別はマジョリティー(多数派)が取り組む課題
肌の色や生まれた国は選べないのと同じで、LGBTQ+の人たちもトラディショナルな男性女性のカテゴリーにもともとハマらない少数派です。多くの場合、多数派の人たちには少数派の人たちの苦しみ・生きづらさがわかりません。そのために政治もなかなか変わらないのが現実です。LGBTQIA+のAはally (味方の人たち)という意味も含まれています。多数派からのサポートがあってこそ変化が可能になります。誰もが自分らしさを大切にすることを子供の頃から学び、自分に正直に生きれることで、人々の笑顔が増え、ビジネスでもアートでも素晴らしいものが生まれる社会になるのではないでしょうか。
そう考えると、プライドマンスはLGBTQIAの頭文字でも足りない、私たちの多様性を祝うためのものですね。


子育てのご相談はホームページからご連絡ください。
https://www.proparents.club


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