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「結婚しても母になっても自分の人生を生き続けたいということは間違いなのだろうか?」ゲスママを読んで


母になるのがおそろしい

母になるのがおそろしい』というのはヤマダカナンさんのエッセイ漫画のタイトルですが、私はまさにこの気持ちを抱え続けてきました。

今回の記事はキックオフイベントのゲストであり、読書会も開催させていただきた神田つばきさん著『ゲスママ』についてのリレーnote…なのに他の作品の言葉を引用するのはどうかと思ったのですが、これが私の人生で母という言葉を語る上で切り離せない言葉だと思います。

ゲスママを読んで、改めて私が捕らわれてがんじがらめになってきた「結婚」「母親」「主婦」ということについて考えたことをまとめたいと思います。よかったらお付き合いください。

結婚や子どもへの憧れが薄い少女時代

中学では結婚については「なんとなく普通結婚するだろうから」とぼんやり考えていました。

そもそも人生が波乱万丈過ぎたため「23くらいには死ぬだろうな」と思っていて、将来を描くこと自体がうまくできませんでした。

なので高校に入る頃には子供がほしいという気持ち自体が薄く、結婚に対しての理想というものもほとんどなく、「ウエディングドレスや好きな人と穏やかに生活することは楽しいかも…」くらいでした。

私は子どもが嫌いというわけではないけれど、特別好きなわけでなく、子どもよりも猫のほうが可愛く見えてしまっていました。

そう感じる中、女の子たちが当たり前のように子どもが欲しいと言ったり、子どもを見て可愛いとはしゃぐ姿を見ていて

「子どもが欲しいと思えない自分は人として間違っているのでないか」という不安をずっと抱えていました。

結婚で感じた「自分の人生を降りなければいけない」強迫観念

大学卒業と同時に結婚し主婦になり、結婚や妻・母親というものの外的圧力の強さと重さと息苦しさを実感しました。

周囲に比べて結婚が早かったことも影響していると思います。

誰に何を話すにも「旦那さんはどうなの?」「料理作ったりしているの?」と言われました。友達は誘うのを遠慮するようになり、「休日は家族で過ごさなければ」と言われるようになりました。

「子どものいない主婦は子どもを産んですぐ辞めるから」という理由でなかなかアルバイトすら採用してもらえませんでした。なぜか人妻だからエロいと言われたり(単純にそうだと知ったから言葉に反応してるだけですが)、ライターの仕事でも、他の仕事の話でも途端に「主婦であることを活かして」と言われだしました。

結婚しながらリハビリをして少しずつキャリアを作ろうと思っていた私は、突然紙切れ1枚で周囲の対応がいきなり変わったことに戸惑い急に生きづらくなりました。変わらない一人の人間のはずなのに。

「幸せだよね、羨ましい」

「諦めて身の丈にあった生活をしなよ、結婚したんだし。」

そういう言葉をかけられながら「そう思えない自分は間違っているのか、すごく自己中心的で酷い人間なんじゃないか」と悩み、友人にはほとんど誰にも言えなくなりました。

自分は性被害の波で自己実現が通常よりかなり遅れています。その中で自分のキャリアを築けていない状態や納得の行く状態でなく子どもを産んだら確実に後悔することだけは自分でわかります。

「絶対にそれを子供のせいにしたくない!きっとこのままでは子どものせいにしてしまう!」

また

「結婚に逃げた自分はそんなことを言う資格はない、子どもを産んでまわりの望む姿にならなければ。そうなれない自己中心的な自分なんて殺してしまえ」

と自分を追い詰め続けました。

そして性暴力に関わる活動をするにつれ、様々な生きづらさに触れて親子関係で悲惨な状況にあった人をたくさん知ることになり、ますます母親になることが怖くなりました。

子どもを産んでお母さんになっている同級生を見るのがとてもつらい。SNSの投稿が子どもの話ばかりになっていく。

「子育てをして一人前」というものを見ては

「私は結婚しているんだから、旦那は子どもが大好きなんだから、早く子どもを産まなくちゃいけない!」

「でも産むのが怖い!」

と思い悩み続けました。

「子どもを産むことは自分の人生の主役から降りることだ」

という話をよく見ます。

私は「自分の人生をちゃんと生きられた」と思えていない状態でそんなこと出来ない。そうしたらきっと子どものせいにしてしまう。自分のせいで子どもを不幸にしてしまうのが怖い。こわくてたまらない。もともと子どもとうまく接しられないのに?

子どもを不幸にしないためはに子どもを全て優先しないといけない、世間で母親に求められてるものが多すぎてハードルが高すぎて自分にできる気がしない。

自分の人生を生き続けたい。それはわがままで自己中心的で酷い人間なのでしょうか?

ゲスママという生き方

ゲスマで神田さんは母にとらわれ続け、結婚し子どもを産み、母になった後に離婚し、性を追求した半生について綴っています。

SMを求めご主人様を探し続けていた神田さんは「自分のご主人様は自分だった。」と仰っています。

神田さんにとって性の探求は母でも妻でもなくそうでもある「自分であること」を取り戻す旅だったのかな、と思いました。

母でありながらも女であること、また母にとらわれてきたこと、悩みあがいてきたことを神田さんは美しい文章で綴り、いつも素直に語ってくれます。

神田さんともお話を重ね、私は近頃子どもを産んでも自分の人生を降りない人たちを見て、少しずつ恐怖が和らいできました。

SEX and the LIVE!!のミーティングでも明日香さんが赤ちゃんを連れてきてくれるのですが、

「産んだらわかるよ!」という押し付けもなく、子どもと接し方がわからないことを受け入れてもらっていたので、少しずつ苦手意識が和らいで来た気がします。

別居など経て一時期は離婚を真剣に検討していましたが、私はパートナーであるくまや子どもが嫌いなのではなく、母親や結婚・妻という概念に押しつぶされることがつらいのだと最近改めて気付きました。

何度もくまと話し合い、「妻・嫁・旦那・夫」と呼ぶのをやめ、オープンマリッジの形を取ることになり、結婚に縛られずにお互い自分のやること・やりたいことができるように動いていて充実して以前より尊重しあっていられています。

私が今後結婚を続けられるのかも、子どもを産もうと思えるかもまだわかりません。

それでもきっといろんなあり方がある。新しいあり方を自分でこれから作っていけばいいじゃないか。

そんな風に思えるのです。

性や母に焦点を当てていますがゲスママで、感じたのは1つの良質な小説を読み終わったような爽やかな余韻と、神田さんの精神性や生き方だったと思います。

性やSMなんて過激な話はちょっと…と思う方もとても上品な言葉で綴られているので読んだら抵抗感は薄れると思います。自分の生き方を振り返ることができるかもしれません。

女である息苦しさや性に対する捉え方の男女間の違和感というものも、やわらかな実感の篭った言葉で書かれていて特に女性は共感もあり、励まされる部分もあると思います。

SEX and the LIVE!!で読書会も開いたのですが、そういう自分の家族・母についてや、自身の性・女性・母・結婚についても考える機会になる作品だと感じました。

自分の縛られているものとどう向き合うのか、私自身考え続けていきたいと思いました。

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