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アーティスト・ステイトメント:栗原亜也子

わたしは「Mind Games」というオセロ・ゲームのルールに沿って描くペインティング・シリーズの制作を続けています。リバーシブルのコマをひっくり返す代わりに、白と黒の絵の具を円形スタンプにつけて交互に塗り重ねる方法で対局の盤面を描いているのですが、絵の画面は常にゲームの対戦状況に沿って変化し、ゲームの進捗は積み重ねた絵の具が時に混ざり合ってしまうがゆえにその判別があいまいなまま、2色のドットが通常のオセロ・ゲームの盤面を越えて増殖していきます。

2020年の春にCovid-19のパンデミックが起こり、日本では緊急事態宣言が出された時に、私は自分が描いている「オセロ・ペインティング」が新型コロナウィルスの感染拡大の様子と「似ている」点を発見してしまい、なんというか…ゾッとしてしまいました。

例えば、「『となりあう』モノ同士がワンアクションによって瞬く間に塗り替えられていくところ」や「相手を挟み込んで抑えて色を変えても、またすぐに他の色に変えられてしまうこと」、「中心から次々と拡がって増殖していくところ」、さらに「絵の具が混ざってシロかクロかの判別がつきづらいこと」など、ポピュラーでルールも簡単な「オセロ・ゲーム」を作品に引用しているはずなのに、世界中でなかなか抑えることのできない疫病と共通する要素がペインティングの過程(ワークインプログレス)に見えるのです。

例えこの気づきが自分勝手な解釈だとしても、私はそのことに恐怖を覚えました。なぜならこの作品群には「終わりのないゲーム」というキーワードが含まれているからです。
5月末に政府が緊急事態宣言を解除してもやはり外に出る気にもなれず、私は自宅の制作スペースで「Mind Games」のオセロ・ペインティングを粛々と続けていました。私はその作品を「#stayhome」と名付けることに決めました。スタジオにひとりでこもっている時間は私に心の平穏をもたらしました。誰とも会わず、誰とも喋らずに済むので。

ちょうどその時期にアメリカでは事件が起こり、SNS上では「#BlackLivesMatter」というハッシュタグが拡散されていました。テレビやネットから受け取るその光景に対し、目の前のキャンバスに円形スタンプを使って白と黒の絵の具を塗り重ねる自分の指先が祈りにつながるような気がして、私はひたすらスタンピングを続けました。
このペインティングは6月の新月の夜、画面を埋めつくすことなくピリオドを打ちました。オセロ・ゲームとしての白と黒の勝敗の行方はわからないままです。



さて、「Mind Games」シリーズで近年継続して取り組んでいる「I am Here」というペインティング・パフォーマンス・プロジェクトがあります。長さ約15mの布にプリントされた格子模様をオセロ盤面に見立ててオセロ・ペインティングをしていくのですが、この作品では「私はどこにいて、どのように絵を描いているか」という場に対する問いかけ、サイトスペシフィックな要素が重要となります。
たとえば2017年は横浜の黄金町の元違法風俗店(いわゆる「ちょんのま」)の空き物件をコンバージョンしたアートスペースでパフォーマンスを行いました。「元ちょんのま」の入り口は締め切って外からは見えないようにし、室内では延々と「ひとりオセロペイント」を続け、ペインティングの様子はウェブカメラを通したストリーミングでのみ公開しました。2018年には京急線高架下をリノベーションしたスタジオで公開制作を行い、訪れた人にオセロ・ペインティングに参加してもらいました。頭上をひっきりなしに通過する電車の音と振動とともにオセロの白と黒のドットは増殖し続けました。
そして2020年はコロナ禍の自宅です。記録的な猛暑が続いた8月、私はほとんど外出せずに毎日室内にこもってひとりでオセロ・ペインティングをしていました。政府は「GoToキャンペーン」というネーミングの国内旅行を支援する経済政策を打ち出し、「ステイホーム」は世間から影をひそめ始めていました。
私も「じっと自分の中に引きこもっていたい願望」から、自分のしていること(=作品)を誰かにみて欲しい、と気持ちに少しずつ変化が出てきました。そこで部屋にカメラを2台セットし、制作過程に自分の姿も入れて撮影し、SNSに毎日アップすることにしました。「目の前に観客はいないけれど誰もみていないわけではない」状況は時に私の描画アクションを意識的な動きに変え、身体的パフォーマンスへと繋げていきます。
設置場所が変わっても、あるいは目の前に観客がいてもいなくても、私はこの作品を通して「わたし」が「確かにここにいる/いた」というメッセージを発信し続けたいと考えています。



新型コロナウィルス感染拡大は、人間同士のダイレクトなコミュニケーションの機会を減少させ、人と人との距離感について全ての人が改めて考えざるを得ない状況をもたらしました。

なぜ私たちは「ふれあいたい」と思うのでしょうか。
そして、なぜ私たちは「誰ともふれあいたくない」とも思うのでしょうか。

この展覧会では、自分の中に引きこもっていたい願望、そして画面を通して他者とふれあおうとした試み(ネットを利用した遠隔オセロ対戦のペインティング・パフォーマンス)のそれぞれの痕跡を同じ空間に散りばめています。



私はあなたに会いたい、と思う。でもあなたに会えなくても大丈夫とも思う。
私はここにいます。そこにも、どこにでも。そしてあなたも。




2020年10月10日
栗原亜也子


◉開催中の個展情報 HRDファインアート 
◉栗原亜也子ウェブサイト ayako-kurihara

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