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祖母について

 わたしはいま、24歳である。

 そこから30の年を重ねると54歳で、わたしは普段、このへんの年齢層の方々と接することが多い。それは先生であったり、お客様であったりする。

 40の年を重ねると64歳。これは、ちょうどわたしの両親の歳に近い。――と書いて、新年早々ぎくっとなる。60前後といえば、世間一般、もう孫がいてもいい年ごろなのに、孫どころか義理の息子・娘の影も見えてこない。悪いことをしているとは思う。

 さておき、上には上がいる。

 わたしの祖母である。もう90歳になる。

 生まれは京都、いまだに現役でお茶の先生なぞやっている。小さいけれどしゃんとしているし、わたしなどよりよっぽどハキハキした、それでいて女性らしい話し方をする。わたしはおっさんくさい話し方だとよく言われるから、この差はどこから生まれてくるのだろうと常々思う。これも「人生経験」だろうか。

 それにしても、「90」である。

 わたしがあと3倍生きてもまだ届かない。それは、どんなに途方のない時間なのだろう。ちょっと想像するだけで気が遠くなる。毎年この時期、祖母の元を訪ねるたび、わたしが何を言ったところでぴしゃりと切り捨てられてしまいそうな、そんな引け目さえ感じてしまう。

 けれど、祖母は「24」と「90」という隔たりをあっさり越えてくる。

 今年の祖母は、「楽をしてはいけない」と言った。

 楽な道ばかりを選んではいけない。一生、ずっと学んでいけるものを見つけなさい。――そんなようなことばだった。

 的確にも程があると思う。「楽をしてはいけない」というその戒めは、ちょうど昨晩、去年の自分を振り返ったときに思い知らされたのだ。

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 年に数回しか会わない祖母。「24」と「90」の隔たりをあっさり飛び越えて、癌の手術も乗り越えて、会うたび、お茶を出そうとせっせと準備してくれる祖母。

 たった一目で、わたしのこころを見抜いた祖母。


 わたしは、今年で25歳になる。

 いつか、わたしも「90」までの隔たりを越えることができるだろうか。

 飛び越えることは無理でも、よじ登るくらいはできるようになれたらいいと思う。楽をしないためにも。


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