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外山滋比古「乱読のセレンディピティ」を読んで/本の話

昨日、外山滋比古「乱読のセレンディピティ」を読んだ。なんかビビットきたのだ。

 先日youtoubeでゆる言語学ラジオを見ていたら、話の流れで外山滋比古先生とこの本の名前が出てきて、なんだか惹かれるものがあったので読んでみた。時々、そういうふうに話の枝葉としてチラッと出た人の名前とか本の名前が、妙に心に引っ掛かることがある。
 届いてから数日の間、他の積読本と並べていたのだけど、度々背表紙の文字がなんだか目に入るので、昨日いよいよ手に取った。こういうことも時々ある。今回みたいに直近で買った本だったり、もうだいぶ前に買ったままの本だったり、その辺はまちまちで規則性はなさそう。
 以前、ピースの又吉さんが本屋を訪れる企画で「本屋さんに行くと自分が買うべき本が光って見える」って言っていて、いやいやそれはないだろ!と笑いながら話半分で見ていたことがあるのだけど、最近あながち嘘ではないと思うようになった。私には光って見えはしないけど、なんか目を引くというかその本だけ視界のピントがピッタリ合ってくっきりと見えるように感じることは確かにあるからだ。

 まぁそんな感じで、「乱読のセレンディピティ」の読み時がきたので、50冊以上ある積読本をすっ飛ばして読んだのだ。そして、とってもとっても面白かった。ざっくりまとめると、乱読して色々な分野の本をどんどん読んでいくと、失敗もあるけれど思わぬ発見が見つかるので、乱読をお勧めしているという内容。以下特に印象的だったところを、かいつまんで感想を書く。

◆セレンディピティとは

セレンディピティとは、思いがけないことを発見する能力のことだ。特に科学分野で、失敗が思わぬ大発見につながった時に使われる。

外山滋比古「乱読のセレンディピティ」

◆何を読むか決めること自体が知的活動

本を選ぶのが、意外に大きな意味を持っている。(中略)あふれる本の中から、何を求めて読むか。それを決めるのがたいへんな知的活動になる。いい加減に本を買ってくれば、失敗の方が多いのは当然である。

外山滋比古「乱読のセレンディピティ」

 これは、本は身ゼニを切って買うべしという節にある文で、もらった本や借りてきた本は自己責任の重みが足りないので、身ゼニを切って買うことで、失敗してもそこから学ぶことがあるという話。ちょうど併読しているシーナ・アイエンガー「選択の科学」に、動物は本能的に選択欲求がある、つまり自分で選びたいという欲求が合って、自分で選んだ方が結果がどうであれ満足感があり納得できるというような趣旨のことが書いてあったのだけど、それと通じるところがあるなぁと。

◆乱読のすすめ

手当たり次第、本を買って、読む。読めないものは投げ出す。身ゼニを切って買ったものだ。どうしようと自由である。本に義理立てして読破、読了をしていれば、もの知りにはなるだろうが、知的個性はだんだん小さくなる。

外山滋比古「乱読のセレンディピティ」

どんどん次々に手当たり次第いろんな本を読むことを、乱読という。乱読のすすめ自体は大いに納得。というか、私にとっての読書はイコール乱読しか経験がない。乱読じゃない読書がピンとこないくらい。乱読の反対はある特定の分野の本だけを読むこと。小説だけとか実用書だけとか、専門の研究分野だけとか。


◆本は風の如く読むのが良い

のろのろしていては生きた意味を汲み取ることはおぼつかない。
風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味を打ち明ける。
本は風のごとく読むのがいい。

外山滋比古「乱読のセレンディピティ

第5章「風のごとく」では、言葉には生命が合って読むのに適したスピードがあることが書かれている。私はこの本の中でも、特にこの章が読めて良かったと思ったところ。

 外国語を読むときに、いくら辞書を引いて丁寧に読んでも分からないところがあるのに、ネイティブに声を出して読んでもらったらすっかり意味がわかることが多々あった経験から、言葉は単語が連なって文として意味をなすので、読むのが遅すぎてそのつながり見えなくなると読めないということを発見されたというくだりがある。そして逐一辞書を引くことで断ち切られた流れが、ネイティブによって回復されたことで意味が理解できるようになる
という仕組み。
 
 これは、私の個人的に疑問に思っていたことに言葉を与えてくれた説明だった。というのも私はかねてよりゆるゆると英語を勉強していて、リスニングに比べてリーディングが格段にできないと自覚している。同じ文章でも聞いてたらわかるのに、それを文字で読むと意味が掴めないことが多い。なんでかなぁと思っていたのだが、まさに外山先生が言われているようにスピードの問題が関わっていると思う。

 聞いてる時は、わからない単語とか聞き取れない箇所があっても、とりあえず一通り区切りがいいところまで辛抱して聞く。そうすると、声の調子とか後あから出てきたフレーズがヒントになり、その前に分からなかった単語の意味が判明したりする。でも読む時って知らない単語が出てきたり、意味が掴めなくなったらそこで立ち止まってしまう。意味がとれないから、ゆっくり反復する、、、、って感じでスピードが出ない。

 昔「じっくり読んで分からないものが早く読んで分かるわけがない」と言っているのを聞いて、そりゃそうだと思った。今もそれは一理あると思う。ただ、一理あるが、全てに当てはまるわけじゃないと気づいた。
 日本語でも、一部を聞いただけでは何言っているかわからなくても、しばらく聴き続けているうちにあぁそういうことかと察しがつくことって結構ある。それは英語でも同じなんだと。

 「じっくり読んで分からないものが早く読んで分かるわけがない」に囚われていたなって思った。そうか、スピードも大事なのかって。
 
 そしてこれってセレンディピティだと思った。
この本から、英語のリーディングについて示唆が得られるなんてつゆほども思っていなかったけど、自分の中で燻ってたぼやけていた疑問がこの本のおかげで輪郭が鮮明になった。とてもいい出会いであり発見を得た。

◆雑談も乱読も遠くのものとするのがいい
 
 近いものばかりだと視野が狭くなる、遠くのもの同士だからこそ見つかるものがあるということだったんだけど、これにも激しく肯首した。会話するのも違う自分と違う属性(年齢、出身、職業など)の人との方がおもしろい発見があるなと経験上思っていた。いつもの人といつものノリで話すのもそれはそれで楽しさがあるけれど、そればかりだとノリを共有するだけで会話する楽しさがないのだ。

◆仕事をするのは朝がいい!
これもほんっとに分かる。私もしばらくは朝方生活していたことがあり、朝のエネルギーの凄さは体感済み。なのに、、、最近夜型になってしまい、なかなか戻せずにいる。でも、やっぱり戻そうと決意を新たにした。

200ページ弱で、字も大きく、平易な文なのでかなり読みやすいです。分かりやすくて知見がいっぱいで、大変な良書だった。やっぱり読み時だったんだろう。

外山滋比古先生といえば、「思考の整理学」という本が特に有名らしく、「乱読のセレンディピティ」と同時に入手済みなので、早速そちらも読んでみようと思う。

読書はやっぱりいいもんだ。

 

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