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『アイダよ、何処へ』(ヤスミラ=ジュバニッチ・2021年) その1

1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラヴィア連邦からの独立を宣言したことで勃発したボスニア紛争。この紛争末期に起こったジェノサイドをテーマにしたのが本作です。

鑑賞後は、とにかく、言いようもなく辛かったです。

人類の救われなさと愚かさに打ちのめされ、無力感に身を焼かれながら帰ってきました。戦争や紛争を扱う作品は、そうなると覚悟したうえで観に行くのですが、それを超えてくるすさまじい映画体験でした。

現在に至るまで、紛争やテロが世界中で絶え間なく起こっていること。アフガニスタンでは、紛争によって過去10年で民間人10万人超が亡くなっていること。ミャンマーでは治安部隊による発砲や暴行で1,000人以上が犠牲になっていること。直近の情勢にも共通する、人間同士の争いにより生じた惨劇。


ようやく整理がついてきたので、少しずつ残します。

日本ではあまり浸透していないテーマなので、今回は、背景知識と監督についてのみ書きます。


背景知識

1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラヴィア連邦からの独立を宣言したことで勃発したボスニア紛争。1995年の12月の終結までに約20万人の死者、200万人以上の難民を出し、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。

紛争が泥沼化するなか、東部ボスニアの町スレブレニツァは、国連により攻撃してはならない「安全地帯」に指定された。現地には国連保護軍も派遣されたが、完全に孤立したスレブレニツァではあらゆる物資が欠乏し、状況は悪化の一途をたどっていた。

そして1995年7月11日、ラトコ・ムラディッチ将軍が率いるセルビア人勢力のスルプスカ共和国軍が、国連の警告を無視してスレブレニツァへの侵攻を開始。映画の物語はここから始まる。


監督について

「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」は、日本ではあまり詳細には知られていない。1974年にボスニアの首都サラエボで生まれたヤスミラ=ジュバニッチ監督は、多感な十代のときに凄惨な紛争を経験。デビュー作『サラエボの花』と『サラエボ、希望の街角』で紛争の生々しい傷跡と再生への希望の在り方を描き、国際的な評価を確立した。

最新作である本作では、”紛争後”を背景にしていた2作品とは異なり、ボスニア紛争末期の惨劇を真正面から向き合っている。ほんの数日間のうちに、約8,000人ものボシュニャク人(イスラム教徒)がセルビア勢力に殺害された”スレブレニツァの虐殺”は、いかなる状況下で引き起こされたのか。

戦後最悪のジェノサイドを、監督は、現存する様々な記録資料や生存者の証言などの綿密なリサーチに基づいて描いている。そのためか、ドキュメンタリーのような、息もつかせぬ迫真性を感じさせる作品になっている。


あらすじ、考えたことなどは、また次回以降に。

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