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カジノの授業を受ける、という夢

私の高校では、カジノについて学び、それを実践する授業が行われる。カジノ講座は1年に1度だけ行われる特別授業なので、生徒たちは数日前から浮足立っている。揚げパンが出る給食の日を指折り待つ小学生の気持ち、とでも言えばいいのだろうか。

いよいよカジノ講座の時間。6限目にも関わらず、いつになくしんと行儀よく静まり返った教室。特別講師がつかつかと教壇に歩み寄り、担任の先生がプリントを配る。カジノについての概要や、正しい遊び方といった、初心者のためのカジノイロハがたっぷり記載されている。プリントが手元に届いた生徒たちが、説明を待ちきれずパラパラとページをめくる様子を、教室の後方に座る生徒たちがそわそわと気にしている。

こっちにも早くプリントを回してくれ。ずるいぞ。

高校生である私たちは、賭け事とは無縁の生活を送っている(はずだ)。賭け事とは、芸人がはまっていると豪語しがちな競馬や、親がたまに不機嫌顔で帰ってくるパチンコといった、香りだけはほのかに感じることはできるけれども、自らの身からは程遠い事柄だ。大人のみに許された遊び。どんな世界が広がっているんだろう、と夢想する対象のひとつ。


特別講師による授業が始まる。聞き取りやすいトーンだが、プリントの内容と大きく変わらない説明が続く。親切心からプリントに情報を記載しすぎて、あまり説明を聞かなくてもよいと判断されるタイプの先生だな。

余談だが、私は、国語の教科書が配布されたその日のうちに、記載されている小説や評論文を全部読んでしまうタイプの生徒だ。意味を持つ文章を読むのが好きだし、どんな作品が選ばれたのだろう、という期待もあってさっさと読んでしまう。結果、授業中は退屈してしまって眠くなることも多かった。既に何度か読んでしまっているから。何て可愛いげのない生徒だろう。


さて、そうこうしているうちに、実技のパートがやって来た。生徒たちは、教室を出て移動する。少し歩いて、小部屋に到着する。カジノ会場全体の様子が見下ろせる位置に、私たち全員が座れるだけのスペースがかろうじて確保された部屋だ(プールの見学席みたいな感じ)。

みんなが三角座りにおさまった頃合いを見計らって、担任の先生がスクラッチカードを配布してくれる。ここで、先生が、高校ではなくて小学校のときの担任であることに気付く。なんで彼女がここにいるんだろう。組み立て体操に対する情熱的な指導が、学校中で有名だった先生だ。

私はスクラッチカードに、鉛筆で黒くマークをつけていく。これでカジノに参加できる。賭け金は必要ないが、当たりの数が多ければ、ルンバとか電子レンジとかがもらえる。一番下の賞は図書カードだけれど、それで十分だ。何かもらえたら嬉しいな。


マークを塗り塗りしているご機嫌な気持ちで、私は目を覚ました。


夢か~。

高校なのに担任は小学校の先生やし、カジノを上から見学できるし、カジノなのにスクラッチカード形式やし、少しずつ奇妙だと思ったら。


私の、賭け事に対する想像力の限界を知った夢の話でした。

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