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不登校と諦め⑨

彼はいろいろな経験を経て、学校に行ってなくても、成長してる。親の力というより地域の方のおかげだと思っている。

私は逆行している。何故だかここにきて、心身ともに限界がきてる。心どころか身体中に穴が空いたようになってる。何でだろう。

たぶん、それは今夏を終え、この2年間不登校について学んだり、得た情報、さまざまな体験が私の中で整理されてきた。それで思ったのが、
「誠実に、純粋に、真面目はもうやめよう」ってこと。

子どもが不登校だと話すと、よく言われたことは、
「学校行ってない子の方がいろいろ見抜いてるよ」
「今は多様性の時代。行かない選択していいんだよ」
「行かなくても子どもと楽しく過ごせばいいんだよ」
「進路は通信制が今はたくさんあるから大丈夫だよ」

初めは納得して、安心してた。
でも、現実は厳しい。
そう簡単にはいかなそうだ。

そうは皆さん言っても、母親はロボットではないんです。と思うように徐々になっていった。

何も感じない。つらくない。ロボットになれたら楽かもしれないとも思うようになった。

最近、彼が泣きながら言っていた。
「学校行ける人になりたい。普通になりたい」と。

私はそれに、
「学校行ってても普通じゃない子いると思う」と言った。言った後に気がついた。あ、それって私じゃないかと。私は何がなんでも学校に行かなきゃと這うように通い、心は破茶滅茶に荒れ狂ってた。一言で中学時代を表すと「我慢の日々」

登下校で楽しそうに見えても、何か抱えてるのが10代だとは思う。ただ、登校する、登校しない点だけを見たら、世間からは「しないのは普通じゃない」と括られるんだろう。

ただ、国が認めた学校以外に通っても普通じゃない目で見られるのは何なんだろう?

フリースクールが実際のところ公教育からは良い目では見られないのは何だろう?子どもがそっちに移るところ困るから?不登校がクラスにいると先生の評価が下がるから?

多様性って何だ。
建前と本音が見えてくる。
綺麗事言わないで。
私は本音を出すとつぶされてばかり。
誠実にやっても最後は私が悪者。
なんだか疲れたよ。

本音を全て言えるのはここだけ。

〈だけど自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない
 存在しないに同義
 確かめようのない
 事実しか真実とは呼ばない
 私たちの心の中身は誰にも奪えない
 そんなに守らないでも平気
 だけど自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない〉

 引用
  宇多田ヒカル  ー【何色でもない花】

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