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《世界史》嫌われ王とアールデンの公女

こんにちは。
Ayaです。
アン女王の崩御によって、始祖ジェームズ1世の曾孫ハノーヴァー選帝侯ゲオルグが即位して、ハノーファー朝が成立します。ハノーファー朝は何回か改称して、現在のエリザベス2世まで繋がります。今回はハノーファー朝の成立からヴィクトリア女王まで取り上げます。

嫌われ王ジョージ1世(1660〜1727)

アン女王の後継に指名されたハノーファー選帝侯ゲオルグですが、当初即位を嫌がりました。まだジェームズ2世の息子の反乱が収束していませんでしたし、大国を背負うのは荷が重かったのです。なんとか彼を説得し、廷臣たちは1741年ジョージ1世として即位させたわけですが、ジョージ1世はすこぶる国民の支持を得ませんでした。ジョージ1世は粗野で英語を話せませんでしたし、常に連れて歩いている愛人は王妃然とした傲慢な態度でした。なぜ正式な王妃を連れてこなかったのかは有名な話で、誰でも知っていました。

ジョージ1世
英語を解さないとされてきたが、最近では晩年にはそれなりに習得していたと言われている。

"アールデンの公女"ゾフィア・ドロテア(1666〜1726)

ジョージ1世は1660年ハノーファー選帝侯エルン・アウグストとプファルツ選帝侯の娘ゾフィーとの間に生まれました。この母ゾフィーがジェームズ1世の孫娘で、彼にイギリスの王位継承権を伝えるわけですが、父方ハノーファー家は奇特な一族でした。もともと父の兄ゲオルグ・ヴィルヘルムが選帝侯位の継承とゾフィーとの結婚が決定されていました。しかし、ゾフィーが疱瘡で醜くなると、自分の弟エルン・アウグストに選帝侯位とゾフィーとの結婚を押し付けました。ゾフィーは自分をモノのように扱ったゲオルグ・ヴィルヘルムを恨みましたが、エルン・アウグストとの間に六男一女をもうけました。父のエルン・アウグストに似て、息子たちは粗野に育ち次第に母に反抗するようになりますが、長男ジョージ1世の結婚では思いもよらない相手をもらうことになりました。

ジョージ1世の母ゾフィー
孫ジョージ2世の結婚では、賢妻キャロラインを見出す。

さて、婚約者ゾフィーと選帝侯位を弟のエルン・アウグストに押しつけたゲオルグ・ヴィルヘルムですが、運命の相手と出会います。相手はフランス貴族の娘エレオノーレという女性で、2人は正式に結婚する前に1666年ゾフィア・ドロテアという娘をもうけます。この娘は両親の正式な結婚前に生まれたので、庶子とされて後から嫡出子とされた経緯がありましたが、母に似て絶世の美女でした。しかし、当時は美貌よりも出自のほうが重要視されていましたし、父のゲオルグ・ヴィルヘルムは自分の目の黒いうちに娘に幸せな結婚をさせたいという願いがありました。最初の婚約者がなくなり、焦った父は娘を思うばかりに暴走し、ある条件をつけます。娘をもらってくれる相手には相場より高い持参金を与えると宣言したのです。彼としては娘の弱点である出自の悪さを消すための宣言でしたが、意外な人物から結婚の打診を受けます。自分の実の弟エルン・アウグストからで、彼の長男ジョージ1世と結婚させたいというのです。弟嫁ゾフィーとの因縁も忘れていたのか、ゲオルグ・ヴィルヘルムは自分と弟の血をまた一つにできるとの幻想に夢中になり、娘の結婚を決めてしまいます。16歳となっていたゾフィア・ドロテアは泣いて嫌がりました。ただでなくとも嫁姑問題があるのに自分の父親と因縁のある姑を持つなど不安でしかなかったでしょう。しかし、当時の父親の決定は絶対で、泣く泣くジョージ1世のもとに嫁ぎます。
姑ゾフィーとしても嫁の扱いは難しかったでしょう。宮廷人も身分ではなくて持参金で嫁いできた女性と軽蔑していました。絶世の美女といわれたゾフィア・ドロテアでしたが、夫のジョージ1世はなぜか嫌い、一男一女をもうけると、愛人と過ごすことがほとんどとなりました。彼の愛人はあまり美人とは言えない女性ばかりで(イギリスで王妃然としていた愛人も)、そのこともゾフィア・ドロテアの誇りを傷つけました。孤独の中でゾフィア・ドロテアはある男性と出会います。

ゾフィア・ドロテアと子どもたち
娘はプロイセンに嫁ぎ、フリードリヒ大王の母となる。

この男性はケーニヒスマルク伯というスウェーデン出身の貴族で、有名な美男でした。2人は愛人関係になり、ザクセンへの駆け落ちまで計画します。しかし、この計画はハノーファー家に知られ、ケーニヒスマルク伯は失踪します。証拠はないですが、ジョージ1世の側近らに大金が渡されているので、彼らにケーニヒスマルク伯を殺害させたのでしょう。
ゾフィア・ドロテアは助けてもらうため父の元に逃れますが、対立を恐れた父によって送り返されてしまいます。これ以上の結婚生活は無理ということで、彼女は夫のジョージ1世に離婚を求めます。そこでジョージ1世は手続のために古城アールデン城に移ることを命じます。彼女はやっと地獄のような結婚生活から解放されると喜んで向かいますが、これは夫の残酷な罠でした。なんとそのまま幽閉してしまったのです。こんな非人道的な扱いをできたのは、離婚手続を進めていなかったからでした。彼女の父母もジョージ1世に懇願するしかありませんでした。父母もなくし、たった一人で幽閉された32年間。その間、ジョージ1世はハノーファー選帝侯になりイギリス王ともなりましたが、彼女の時間は止まったままでした。人々は彼女を憐れがり、"アールデンの公女"と呼んでいました。長い絶望の中で1726年亡くなります。享年60歳。彼女の死を知ったジョージ1世の命令はさらに過酷でした。正式な葬儀は行わせず、鉛の棺に入れてアールデン城内に埋めろというものでした。血の涙もない命令で、痛ぶられ続けたゾフィア・ドロテアにみんな同情しました。
そんなジョージ1世はイギリスとハノーファーを行き来していた馬車にゾフィア・ドロテアの恨みつらみの手紙を投げ込まれ、心臓発作で亡くなったと噂されました。実際は大好物のメロンの食べ過ぎで体調を崩して亡くなりました。しかし、彼が政治に関与しなかったので、イギリスの責任内閣制は進みました。彼の王位は大嫌いだった息子のジョージ2世に受け継がれました。

"小粋なジョージ、統治するのはキャロライン妃"

ジョージ2世は1683年ジョージ1世とゾフィア・ドロテアの長男として生まれます。母の不倫騒動で引き離され、母の思い出を取り上げたジョージ2世は父を恨み続け、長じると父になにかと反抗しました。祖母ゾフィーは息子の結婚の失敗で学んだのか、孫の彼には結婚前に相手と会わせています。相手はキャロライン・オブ・アーンズバックで、彼は一目で好意を持ちました。当時は結婚前に会うなんて考えられないので、よっぽどゾフィーも気を遣ったのでしょう。

ジョージ2世
妻キャロラインを愛しており、病気の彼女が自分の死後再婚するように勧めると、拒否し『愛人つくる!』と宣言。


夫婦は仲睦まじく三男五女をもうけますが、父ジョージ1世はことごとく息子が反抗するのは賢い嫁のせいだと嫌っていました。王家の宝飾品を愛人たちに分け与え、キャロラインは戴冠式を借り物ですませなくてはなりませんでした。
父と対立していたジョージ2世ですが、政治的才覚がないのは父と同じでした。妻のキャロラインが代行していたので、"小粋なジョージ、統治するのはキャロライン妃"と陰で言われていました。しかし、そのキャロラインが1737年に亡くなってしまいます。

ジョージ2世妃 キャロライン
首相ウォルポールも頼りにする賢妻だった。

愛妻の死で落ち込む彼でしたが、好戦的な彼の本性が現れてきて廷臣たちは慌てます。とは言っても、国王の権限は縮小化されていたので惨事にはならずにすみました。1760年亡くなります。
ジョージ2世ですが、自分と父の関係を息子にも適応させてしまいます。彼の長男フレデリクは一家の渡英時ハノーファーで置き去りにされ、成人後はいつも父と対立してました。浪費癖のひどい鼻つまみものでしたが、スポーツ中の心臓発作で父より早世しました。その息子のジョージ3世が跡を継ぎます。

今回はこの辺で終わりです。なぜかこのハノーファー朝と後継の家系は親子で対立する家系で、この後もうんざりするほど出てきます。音楽家ヘンデルはハノーファー選帝侯時代のジョージ1世に仕えていましたが、高飛しイギリスにいました。まさか昔の主君がイギリス王になってくるなんて思ってもいませんでしたが、才能を惜しんだ廷臣たちの説得でクビがつながりました。
次回は愛国王ジョージ3世とその子どもについてです。

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