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《世界史》太陽王ルイ14世と鉄仮面

こんにちは。
Ayaです。
ルイ14世については2回に分けて取り上げます。初回の今日は彼の実績と『鉄仮面』の正体についてです。

ルイ14世(1638〜1715)

1643年わずか4歳で即位したルイ14世ですが、その治世は最初から波瀾万丈でした。当時亡きリシュリューが始めた三十年戦争への介入をその後継者マザランが引き継いでいましたが、度重なる重税に民衆や貴族が怒り、1648年反旗を翻します。これが世にいうフロイドの乱です。幼いルイ14世はパリを脱出することになります。パリに戻ったりまた追い出されたりで、この内乱は5年間も続きます。結局貴族たちは鎮圧され、絶対王政の基盤となりました。
1661年には宰相マザランが逝去したため、親政を開始します。大貴族をしりぞけ、ブルジョワ階級出身のコルベールを登用する等、改革を行います。一方で徴兵制度の国民民兵制を導入し、富国強兵を進めます。
1661年には父の狩小屋のあったヴェルサイユに宮殿の建設を始めます。これが後のヴェルサイユ宮殿です。これは幼い頃にパリを追われたトラウマによるものとも言われていますが、理想的な宮殿を創りたいという熱意によるものでした。

ヴェルサイユ宮殿『鏡の間』
ヴェルサイユは水利が悪く、造成に20年以上費やした。

ルイ14世は建設途中のヴェルサイユ宮殿に移り、貴族も宮殿内に住まわせました。これは貴族を地元から引き離し、権力の集中のためでした。ルイ14世はさらに厳格なエチケットなどの宮廷作法を定め、その中での地位に差をつけることで貴族たちを互いに牽制させました。
国際的にはスペイン継承戦争などに勝利して、フランスの繁栄は絶頂期を迎えます。
勿論、成功だけではありません。アンリ4世が制定したナント勅令を撤回し、プロテスタント迫害に舵をきります。これにより多くのプロテスタントがフランスから出国しますが、プロテスタントはもともと商工業者が多かったため、フランスの国力の衰退を招いたと言われています。
その治世は半世紀以上に及びましたが、晩年は度重なる戦争による財政悪化で重税を招き、人気は下がって行きました。1715年崩御、享年76歳でした。

ルイ14世
背が低いコンプレックスのため、ヒールの高い靴とカツラを愛用した。
バレエを愛し、太陽神を演じたため、『太陽王』と呼ばれる。

さまざまな逸話が伝わっていますが、中でも有名なのが、『鉄仮面』でしょう。

『仮面の囚人』

この囚人の記録が現れるのは、1669年です。ルイ14世の大臣からの命令で収監されます。しかし、その取り扱いが異常でした。彼の世話は監獄長みずから行い、食事は高級なものを与えられ、給仕中には座ることも許されませんでした。一方で余計なことを話した場合、その場で殺害してもよいという命令が出ていました。人前では仮面(鉄仮面ではなく、布製でしたが)を着用させられ、これをはずそうとした場合も殺害するように命令されていたのです。
それから囚人は監獄長の異動に従って移送され、1703年バスティーユ牢獄で亡くなります。そのときの対応も異様で、遺体は顔を潰した上で仮名で葬られ、彼の荷物は全て燃やされ、部屋も改装するというものでした。

囚人の正体

当時からこの囚人の噂は流れていたようです。よく言われたのが、イギリスの関係者です。ルイ14世は名誉革命で追放された前王ジェームズ2世とその息子老僭王を援助していました。囚人はその関係者だというのです。しかし、最終的にはルイ14世はジェームズ2世親子に関心を失っており、だいたいこんなに厳重に取り扱われる理由がわかりません。
次第に、身の上話や仮面を外すことを禁じていたことから、ルイ14世の出生の秘密に関係していたのではないかと言われるようになります。
前回でも取り上げたように、ルイ14世は両親の結婚後20年以上経ってから生まれた子で、しかも父ルイ13世には同性愛疑惑がありました。生まれた当時から疑惑がもたれていたのです。
母アンヌの不倫説もありましたが、やはり重要なことですので、ただの不倫ではなく、ルイ13世やリシュリューが信用できる相手を選びあてがったと考えるのが普通でしょう。その相手として有力視されるのがフランソワ・ドージェ・ド・カヴォアで、仮面の囚人はその息子ユスターシュ・ドージェだというのです。
ルイ14世の誕生後、フランソワが立身出世を果たし、ユスターシュ以外の彼の息子は実績がないにも関わらず王の幼馴染として重用されていたのでこの説は確実性が高いです。その上、ドージェ兄弟はルイ14世と瓜二つだったと言われています。
父フランソワや2人の兄が亡くなったため、1638年ユスターシュが家督をつぎました。しかし、このユスターシュは有名な放蕩息子で、借金漬けの上悪魔崇拝までしていた人物だったので、1664年には母から勘当されてしまいます。無収入になったユスターシュは弟の援助を受けていましたが、この弟も問題を起こし収監されたためそれも不可能になったので、ルイ14世を出生の秘密で脅迫したのではないかというのです。また宰相マザランがイギリスからお金を盗んでいたという外交問題になりかねないことに関わっていたともされます。
すぐ処刑することも可能でしたが、やはり実の兄弟であり、幼い時に一緒に育った幼馴染でもあったので、収監するだけにとどめたのでしょう。囚人も逮捕されたとき王は私の死をお望みかと聞き、そうではないと知ると大人しく従ったといいます。他にもルイ14世の双子の弟説や、ルイ14世本人説など突飛のない説もありますが、一番妥当と思われます。

鉄仮面の囚人
実際に着用していたのは布製のものだが、次第に鉄仮面のイメージとなる

出生の秘密を抱えた独裁者といえば、秦の始皇帝でしょう。彼の母は呂不韋の愛妾で父に献上されたという経緯から、生前から呂不韋の子ではないかと言われていました。始皇帝もルイ14世も自分の血への疑惑を吹き飛ばすほどの活躍をしますが、しこりとして残り続けたのです。
初回はここまでとします。次回はルイ14世の愛妾たちについてまとめます。

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