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日本の伝統文化継承に尽力しながらコロナ禍でも常に新しいことに挑む花火師に迫る

2020夏、全国各地で花火大会が消えた。東京オリンピックは延期となり、甲子園大会もなく故郷にも帰れない。「日本の夏」が、無い。そんな中、全国の花火師が立ち上がり「サプライズ花火」が各地で行われた。「悪疫退散」を願い、感染拡大につながらぬよう打ち上げ場所は非公開。時間制限を設け、費用はほとんどが自己負担である。この花火に勇気づけられた方も多いのではないだろうか。
「サプライズ花火」に参加した花火師に話を聞いた。

氏の名は谷古宇正啓(やこうまさひろ)。(有)花火企画夜光屋代表取締役。東京は台東区蔵前にある大正時代から続く玩具問屋、株式会社山縣商店にて花火の責任者を名乗る傍ら、社内カンパニーとして入社当初から立ち上げた花火企画夜光屋(はなびきかくやこうや)で花火の打ち上げ、企画運営を手掛ける。
「花火師」というイメージにぴったりの屈強な体、よく通る声。そして、全身から醸し出される「楽しそう」な雰囲気に、少し張り詰めた状況を想像していた筆者はやや拍子抜けするのである。


「丸子多摩川大花火大会」復活の発起人

花火って無限の可能性があると信じています。うちの会社は、花火を媒体に「うちでしかできないこと、特殊なこと」を常に企んで形にする会社です。

花火で特殊なことってなに? って思われますよね。

2020年10月、10年あたためてきた企画が実現する大きな一歩を踏み出しました。
多摩川にかかる東京と神奈川をつなぐ「丸子橋」。その丸子橋で、50年以上途絶えていた花火大会を復活させます。
かつて丸子橋では毎夏「丸子多摩川大花火大会」が開催されていました。来場者増加に伴う道路交通への影響を理由に昭和42年をもって中止。それを、どうしても復活させたい。その足掛かりとなる「花火の試し打ち」を、今年10月18日に実施したのです。
(当初10月10日に予定されていたが、台風接近による悪天候で18日に延期)

「丸子多摩川大花火大会」は大正時代から続く伝統ある花火大会です。私にとっても思い出深いこの地で、なんとか花火大会を復活させたい。一心にこの10年、取り組んできました。まあたいへんでした。それが、やっと実現する。この10月の「花火の試し打ち」は新型コロナウイルスの早期収束・多摩川の安全・2019年の東日本台風からの復興という願いを込めて、打ち上げ時間は非公開、10分程度の打ち上げとなりました。
これからは丸子地区有志による「丸子多摩川花火検証委員会」とともに調査・検討を進め、来年以降に継続して街ぐるみで花火大会が開催できるよう、さらに猛進していきますよ。


デカいプライベート花火大会をやりたい

私が花火にのめり込んだのは、学生時代に多摩川で先輩たちと打ち上げた花火がきっかけでした。
先輩は花火師でした。仲間でバーベキューでもしながらプライベートの花火大会ができたらいいよなと。1990年のことです。
次の年もやったんだけど、なにか物足りない。もっと規模のデカいプライベート花火大会にしたい。すぐに動き出しました。開催にあたっては、規模が大きいために県やその他の関連部署に許可をもらわなければならず、近隣住民の方々からのご理解も必要でした。許可まで取ってやる人たちって、当時は珍しかったでしょうね。許可ってそう簡単におりるものじゃないし、地元の方にも受け入れてもらえず、しばらくは散々陰口を言われましたよ。

それでもどんどん花火が面白くなって、株式会社山縣商店に入社し、花火の責任者として活動を始めました。入社してすぐ社内カンパニーとして「夜光屋」を立ち上げて、花火師として花火の打ち上げとともに花火に関わるイベントの企画運営も手がけています。

「点火祭」という名称で、我々は花火師の「実技訓練」を、毎夏多摩川で行っています。これは16年間続いています。
全国に「臨時花火師(夏の間だけの臨時職員)」というのがいて、夏の花火大会ってのはその臨時花火師の助けがないととても開催できないんですよ。彼らは花火を打ち上げる機会が少ないので、技術向上や事故防止のために毎年行っています。実技訓練だけど、花火は花火。打ち上げるのだから、安全に地域の方にも楽しんでもらいたい。今年はコロナの影響でできなかったけれど、毎年地域の方にも見ていただいています。
これもプライベートな花火企画としては規模が大きいだけに、県や様々な許可を申請し、地域住民のご理解を得る必要がありまして。そんなノウハウや人脈も、我々が学生時代から身につけた財産です。


伝統を重んじる業界で新しいことを企てるということ

花火大会ってたいてい昔から決まったメーカーさんがやるものだから、新しいことをやるとなると相当な労力が必要でね。なかなか仲間に入れてもらえない。でも私たちは学生の頃から多摩川でプライベート花火大会を開催してきて、どうすれば許可や地元の方のご理解をいただけるのか、ノウハウや人脈を持っている。それが、私たちにしかできない強みだと考えています。

場所はかわって、東京千代田区・中央区を流れる「日本橋川」で花火を打ち上げるイベントをビジネスとして展開したことがあります。江戸時代、日本には屋形船で芸妓さんと一緒に夕涼みをしながら花火をみるという文化があった。当時の仕掛け花火を復活させて、それを日本橋川でやったら風情があるに違いない、という思いからの企画です。

初めてやることはまあたいへんです。「前例」がないのですから。日本橋ではその界隈の老舗のお菓子屋さんや百貨店なんかの社長が集まる、特別なグループがありまして。そう聞くだけでも敷居が高そうでしょう。その方々からも指示をもらわないと絶対に開催できない。どうしようかと考えて、つてのある人をどうにか紹介してもらい無理やり入り込みましたよ。日本橋に精通した出版社の方と親しくさせてもらって一緒にイベントの企画ができて、そこでやっとビジネスとして形になりました。お客さんはお金を払って花火を見にくる。雅な雰囲気に、皆さんたいへん感動されていました。


困難は当たり前。どうにかなると考えて行動するだけ

誰にもできない、うちだからこそできること。そんなことばかり仕掛けるのですから、最初からうまくいくことなんてありません。全て下地作りからスタートです。それがなければ誰も新しいことなんてやらせてくれないですから。困難は当たり前。特に花火は日本の伝統文化、許可をもらうのはお役所となると、おかたいし新しいことをすんなり受け入れてなんてもらえない。

それは当然のことと受け入れ、どうにかできるはずだ、何か必ず方法があるはずだ、とじっと考えて、一つ一つパズルのピースをはめるように行動していくんです。そうすると、時間はかかるけど、ある時ハッって、探していたピースが見つかる。バラバラのかたまりが繋がって一つの絵になっていく。その瞬間がとにかく気持ちいいんだよね。その探していたピースっていうのはね、誰か「人」がひょんなところから見つけてくれるんですよ。少しづつ築いていった人脈、あたためてきた関係が、パズルのバラバラのかたまりを一つの絵に導いてくれるんです。


「花火」が人を繋ぎ、夢を叶える

花火師って、お客さんからもらう「わー」っていう歓声、あれが最高の喜びなんですよ。あれがあるからやめられない。それと、私にとってのもう一つの喜びはやっぱり「人」ですね。花火を通じてたくさんの人と関わって仲間ができる、増えていく。人と人とが繋がっていく。そういうのがたまらなく好きだな。

私にとって花火がどんなものか? んー、むずかしいな。もちろん好きで、趣味が仕事になった。だからといって「花火は私の人生」とは少し違う気がする。花火は仕事。「花火で成功を収めて、プライベートでのいろんな夢を叶えたい」と思っています。

え、夢がなにかって? あはは。好きなクルマを買いたいとか、カミさんと美味しいもの食べにいきたいとかね。フツーですよ。でもその夢を、花火が叶えてくれる。

花火っていう媒体を通じて、もっといろんなことが仕掛けられると思っています。これからも、もっと模索していきたい。

丸子橋の花火大会は、まさかこのコロナの年に10年あたためてきた企画が実現するとは夢にも思いませんでした。でも、実現するんです。今年は花火大会も軒並み中止になって、我々も毎年いただいている打ち上げの仕事は8割ほどキャンセルになり、かなりの痛手です。でも辛い部分にばかり目を向けていてもなにも始まらない。長年仕掛けてきたことが今やっと形になろうとしています。今はその希望にかけて、ワクワクする思いをさらに大きくさせています。

花火が導く「人との繋がり」と「夢」。ワクワクや喜びがあるから、「新しいことをやる」って思いが枯れることはありませんね。たとえ、どんな時代であろうとも。

                                                                 《終わり》


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