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お母さんへのラブレター

帰ってきちゃった。
実家に長らく帰省していたのだけど、
帰ってきちゃった。自宅に。
喜ばしいことだけど、なんだか、久々に、エーンって泣きたいくらい、切ない。  

お母さんとこんなに長い時間一緒に過ごしたのはいつぶりだろう?
長女出産の里帰りはお母さんは仕事をしていたし、
次女出産の時は里帰りしなかった。  

もっともーっとさかのぼって、
23くらいで一人暮らしを始めるまでは実家から通っていたはずだけど、
高校・短大時代はバイトと遊びで週末は家にいなかったし、
社会人になってからも、飲み会飲み会で毎晩終電だった。  

あーあ、馬鹿な娘だな。  

だからか、若い頃は母と衝突することも多く、
母という存在は、
“大好きだけど、なかなか分かり合えない人”だった。  

それは子供を産んでからもそうで、
私の仕事を応援してくれる一方で、
すぐに仕事に復帰した私に厳しい言葉をかけたのも母だった。
母の忠告は見事的中して、
長女出産の時は、一年間謎の熱に悩まされた。
(後にサイトメガロウイルスに侵されていた事が判明して入院したよ!その話はまた今度)  

だから、次女出産のときは、
“たまにゃ母の言うことを聞いて、のんびりしてみっか!”
って思っていたのに、案の定体調はいまいちで、私の体にとって妊娠と出産は大仕事なんだなぁと思い知らされるのだった。  

で、そんな時に、世間を賑わせたのが新型コロナウイルス。
今かかったら絶対に重症化する!と思ったので(喘息も併発してた)
実家に避難させてもらったのだ。  

母と喧嘩の絶えない日々になると思っていたけど、
予想に反して、かなり楽しい日々だった。  

その昔、小言にしか聞こえなかった、彼女の家事のルールは、とても理にかなったもので、納得しながら彼女のルールに従った。
私が母親という立場になったから、分かることだとは思うのだけど、
どうして、もっともっと、前から、一緒に暮らしていた頃から、耳を傾けなかったのだろうか、と、少し後悔した。  

作るのが面倒で我が家では敬遠しがちな、コロッケとか、メンチカツとかもたっぷり作ってくれた。
お母さんの料理は美味しい。
“あぁ、お母さんの味だなぁ”というと、4歳の娘が
“お母さんの味じゃなくて、メンチカツの味でしょ!”という。
ふふふと、笑う時間の愛しいことよ!
娘たちとって、これから先、何が“お母さんの味”になるだろうか?
そんなことも考えた。  

私が包丁を握る日は、母が作らないような料理を振る舞った。
簡単ホワイトソースグラタン、油淋鶏、きのこのパスタ、餃子の皮作りに挑戦した日もあった。
中でも大好評でかなりハマったのが、
フライパンで作るちぎりパン
すごーく簡単なレシピで、妊娠中毎日のように作って食べていたので、母にも振る舞ってあげた。
これはもう大感激だったようで、
“このレシピ知りたい!”と母。
“URL送るね!”というと、
ネットでレシピを見るのは疲れるから好きじゃないらしく、メモを取りたいという。  

私がレシピを音読して、作ったときの質感やら時間やらを伝えながら、
母がノートの切れ端にメモを取る。
“いや、だから違うって!”とか
“もう一回言ってー!”とか言いながら、
きっと母にしか読めないであろうメモが完成。
そのメモを見ながら、毎朝早起きしてパンをこねて作ってくれて、美味しくて楽しかった。
彼女はなんと、8日間も作った!日に日に上達するのが、なんだか可愛くて、可笑しかった。  

パンが焼けるのを待ちながら、コーヒーをいれて、朝ドラを見る。
3月から急に見始めたんだけど、かなりハマって、一緒に涙したり、語らったりした。
この毎日を思い出す時に、頭の中に、心の中に
スーパーフライのフレアという曲が流れるだろう。
なんて、大切な曲ができてしまったんだ。  

新型コロナウイルスが猛威をふるって、
出不精になったのをキッカケに、
NHKのテレビ体操もやった。
娘とみんなでやった。
あれ、毎日メンバーが違うって知ってた?
そして、おばあちゃん向けだと思っていたテレビ体操はやってみると、案外キツい。  

あぁ、書いてるだけで、泣けてくる。
ずっとずっと、実家で暮らしてたのに、
その20数年の間に、どうして気付けなかったのか、と思う。
もっともっと、大切に暮らせばよかったのに!と、今更になって思うけど、
まぁ、その時はその時で、楽しかったはずだし、喧嘩や、反抗期も、今の私を形成する上で大切だったんだろう。  

だからこそ、こんなタイミングで、
娘を2人連れて、約1ヶ月、母とまた暮らせてよかった。
あぁ、もう、本当によかった。
こんな大切な日々になるなんて思っていなくて、
何か形になるように、この日々を残したいけど、そう思っている間に
するすると、手からこぼれ落ちるように、
忙しい日々がスタートするのだろう。  

だからこそ、今、記憶に、記録に、残しておく。  

これから先は、母と暮らすことはないかもしれない。
未来の私が、今を振り返って、
あの時母と暮らしてよかったなぁと思う。
必ず、思う。
体調不良で泣いていた私に、神様がくれた、ちょっとしたプレゼントのような時間。
2020年3月のこと。  

一瞬も忘れませんように。
忘れないと、誓って。  

お母さん大好き。  

あなたのバカ娘 あやかより。  

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