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番組が終わる、前の日に。

明日大切な番組が、おわる。

その番組は、私が初めて担当した生放送のラジオ番組で
出産して1歳の娘がいる私を大抜擢してくれた、
局の偉い方と、当時のディレクターには、感謝しかない。
皆さん、お元気ですか?

あれから7年経って、パーソナリティも2度チェンジした。
7年の間に、コロナ禍があったり、戦争が起きたり、世の中もガラッと変わったし、
当然ながら、私は7歳年をとり、スタッフも同じように年を重ねている。

私が担当した初年度から3年の間で、
途中、スタッフの入れ替えがあったのだけど、
そこから楽しさったら、すごかった。
いや、それまでも楽しかったんだけどね。
スタッフが入れ替わるのって不安のほうが大きいし、
“前の方が良かったなぁ”ってなることも少なくないから、どうなるかしら?と思って身構えていたんだけど、
結果的に、めちゃくちゃ楽しい数年間になった。
あれは何だろう?何だったんだ?
大好きなスタッフに囲まれて、大好きな番組を作るって、
なんか私、前世で徳でも積みましたか?
ってくらいに、楽しすぎる日々で、
こんな奇跡みたいなチーム、もしかしたら2度とないんじゃないかってくらいに、信頼できる方々と仕事ができた数年間だった。


番組は朝8時からお昼12時までで、
途中1時間の休憩があるんだけど、
その1時間で、みんなでカードゲームしたこともあった。(一応スタッフのために言っておくけど、みんなは真面目に仕事もしてたよ)

番組が終わると、ランチを食べに行って、
ランチ食べながら来週何をやりたいかの打ち合わせ。
爆笑しすぎて、腹筋が鍛えられたんじゃないかって思うほどに毎週よく笑った。

ランチから戻ると、福山雅治のラジオが流れてて、それを聴きながらおやつ食べてまた打ち合わせ。

長い打ち合わせって、苦になることが多いのに、楽しすぎて笑ってばっかだから、
なんか、青春みたいだったんだよ。
周りの人たちみんな、4〜50代の大人だし、
私も30代の子持ちの主婦だったけどね。

なのに常に青春の1ページにいるような感じがした、あの数年間は、あれだな。
あの期間は、私たちの“大人の学祭”だったんだな。
毎週毎週、せっせと準備して、
ゲストが決まんないだの、この企画よりこっちの方が良いんじゃない?だの言いながら
土曜日の朝に、全部を注いでいた。

そこまで熱いのはあやかちゃんだけだわ!
と、この文章を読んで、みんなが笑うだろうけど、
でもそのくらい本気で取り組んだから、楽しかったんだと思うのよ。

「俺の出した企画天才だなぁ」
なんて、笑って、天丼と蕎麦食べてさ。
福山雅治の作るサラダって、どんな味かな、って妄想したり。
卵の食べ比べしたこともあったっけ。

かけがえのない日々を、一つ一つ思い出すと、たくさんニヤけて、少し泣けるな。


私は、ラジオが好きだからさ。
今も昔も変わらず楽しいけれど、
間違いなく、あの頃の私が今の私をたくさん救ってくれている。

これから先も、何度も“あの頃”を振り返って、元気をもらう。
そういう方々に出会えて、一緒に番組を作れたことを誇りに思うし、

そういう方に出会えたから、どんなことがあっても、頑張ろうと思えるのだ。


笑いが絶えない打ち合わせと、
アイディアが飛び交う午後。
窓から入る風と、
誰かが持ってきたお菓子。
福山雅治のラジオを聴きながら過ごす土曜日。

2度と戻らない大人の学祭のような、
数年間に感謝を込めて、明日はしっかり聴こうと思う。

ラジオごと抱きしめるくらい、
愛しい午前中になるだろな。

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