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古代エジプトに想いを馳せる

古代エジプト展に行った。
昨年の夏の話だ。
古代エジプト展には
紀元前数千年前のミイラとか、調度品的なものとか、
色々展示されてて、無知な私は、初めて知る古代エジプトの歴史と、綺麗に今日まで残されてきた展示物をみて、かなりの衝撃を受けた。

中でも最も感情が揺さぶられたのは、古代エジプト3000年の歴史を生きた、
普通の人々の暮らしにまつわる展示だ。

紀元前数千年前にも、
人々が、言葉らしきものを交わし、
人が生まれりゃ嬉しいし、
人が死にゃ悲しいし。
そのために、祝ったり、弔ったりしていたというようなことがわかって、なんだか言葉にならないような感情を抱いた。

そうか、昔の人たちも、今の私たちも、根っこみたいなものは、同じなのか。と。
妙に腑に落ちたし、名前も顔も知る由もない彼らに、思いを馳せた。

何千年も前から、私たちはそうやって生きてきた。
何千年経っても、争いをやめないし、
だけど、何千年経っても、みんな幸せになりたい。

ずっとずっと、私たちはそうやって生きてきたんだ、と。


そんで、どんなに偉い人も、どんな功績を残した人も、
何千年も経ったら、みんなに忘れられて
「数千年前のミイラです」
って、展示されちゃったりしてたのもグッときた。
「このミイラは位が高かったのでしょう。こんな状態で残ってます」
みたいな説明書きが添えられてる。

その人が当時、どんな偉いことをした人なのか、なんでこんな風に保管されたのかなとか、そりゃまぁ気になるけど、それだって知る由もない。

その人が、どんなにたくさん稼いだか、とか、どんな素晴らしい家に住んでいたか、とかは、全部なかったことになって、
宝物にしていたものも、交わした会話も、どんなことに泣いたり笑ったりしたかも、
消えてしまってる。
その人は現在では
「位が高かったミイラ」なのだ。

これが、全てだ。と、思った。

………………

全部、いつかは忘れられる。
私がどんなに人を憎んでも、
私がどんなに人を愛しても、
全部いつかはなかったことになる。

あの人にこんな事言われて悲しかったな。というようなことも、
もっと彼女たちと話がしたい!と思うような楽しい日々も、
ここに綴った文章も、
当然ながら永遠なんてなくて、いつかは全部なくなるのだ。

それが真理だし、この世の常だ。

だったら、今この瞬間は、できるだけ、愛で満ちていたいな。って思ったんだよね。

しかも人生は、みんな大体80年くらいなもんだ。
古代エジプト3000年の歴史に比べると、
いや、比べものにならないくらい短いから
人を憎んだり、悲しんでる暇なんてない。

だって憎しみからはなにも生まれないけど、
愛することは、間接的に未来を明るくすると思うんだよ。
だからこそ私たちは愛し合うことで命を繋いできたじゃん、って。

綺麗事かもしれないけども、
紀元前3000年前のミイラを前にして、改めて思ったという話。

いつか、全てが消えるまで、
なるべく愛に満ちて生きていきたい。

………………

さて、今年はnoteを書いて、文章で自分を表現することを楽しむことができた一年でした。
色んな方に
「読んでるよ!」とか
「あの記事良かったね!」とか
感想をいただいて、本当に本当に嬉しかったし、
こんな風に応援してもらったり、
読んでくれる人がいるなんて、奇跡だなって嬉しい気持ちになりました。

3000年後に残せるようなものは一つもないけど、
今この瞬間に、愛しい気持ちになったり、ちょっと嬉しい気持ちになれるような文章を、
来年も書いてみたいなと思ってます。

しつこいけど、いつかは、全部消えちゃうからね。
今、誰かに、届くように
今書くしかないんだから。

来年もまた読んでもらえたら嬉しいです。

2023年12月31日 鈴木彩可

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