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子はかすがいと、言うけれど

「子供が生まれてからが人生だったと思う」

と、夫が朝起きがけに言ったから、
何、やめてよ、今日死ぬん?
って聞いたら、
ふふふと笑って、いや、ちょっとそう思ったと言う。

その流れで、
独身時代と、子供のいない夫婦時代、子供ができてからだと、いつが良かったか、と言う話になり、
そらぁ、独身時代は夏フェスも自由に行けたし、お金も自由に使えたし、好きな時に寝て、起きて、最高だったよなぁ。
と、話して、
だけど、もし、あのまま夫婦生活が長引いてたら今頃どうなっていたと思うか?の問いに

私は「いや、変わらず仲良しでしょ!」と。
夫は「まぁ、別れててもおかしくないよね」
と答えて、
お互いが顔を見合わせて
「え!?」
っとなった。

え、別れたい瞬間あった!?
それいつよ!?
ええ!私ないんだけど!!!!!


いや、いつがどうとかじゃなくて、
一緒にいる理由ってそのくらい儚いってことだよ。と、はぐらかされる。

私は、私の言動行動に気をつけなくてはいけないと、改めて思う。
こやつ、どっかの瞬間で、もう無理かもしれん!と思ってたんか。

「まぁ、そう言うのも含めて“子は鎹”ですよ」

と夫が言った。

…………

子は鎹という言葉を初めて聞いた時、
私は車に乗っていた。
父が車を運転していて、母が助手席にいた。
どこかに出かけた帰り道で、
両親の会話の中で初めて
“子は鎹”という言葉を聞いた。
私は子供だったから、どの流れがどうなって、“子は鎹”ワードが出てきたのか分からなかったけど、
かすがいってなんだ?と思って、
後ろの席に座っていた私は、前の席の2人に聞いた。
「こはかすがいって何?」

母は、私の方をくるりとむいて
「かすがいってね、ドアあるでしょ。ドアを開ける時に開くやつ。あれだよ!」
と言ったあと
「いや、あれは蝶番だな…」
「あれだよ、ほら、木と木を繋ぐ金具だよ」
「あはは、そっちか。」

「何にせよ、子供がいることで、お父さんとお母さんが仲良くいられるってゆう意味なのよ。子供がいなかったら、夫婦が仲良くいられるのは難しいの」

というようなことを説明してくれた。

「だから、あやかがいてくれて、ありがとう!ってことなんだよ!」
と、うまい感じにまとめられて、私は安心した。

「わたしは両親の仲の良さに一役買ってる!子は鎹かぁ!鎹で居続けよう!」

両親と出かけた、帰り道に、わたしは鎹の役割を与えられて嬉しかった思い出。

…………

だけど“子は鎹”は、時に残酷だ。

仲のよかった家族が、時間をかけて、そうではなくなっていく場合、
子供は鎹の役割を果たせなくて、悲しみに暮れる。
私じゃ役不足だったのだろうか?
と、思い悩んで、何かできることはないのだろうか?と、考えるけど、
鎹は鎹としての役割しかない。

外れてしまった場合それは、ただの金具なのだ。

…………

「まぁ、そう言うのも含めて“子は鎹”ですよ」
と言ったあと
「俺はね、子供ができるまで、自分がものすごく未熟だったということが、よく分かったんだ。
子供がいるから、夫婦として仲良くやれることもそうだけど、子供がいることで自分の未熟さを知ってさ。成長し続けることで、長く一緒にいられるんじゃないですかね?」

と、夫がいう。
そうだと思う。
私たちが仲良くいられるためだけに、子供に鎹で居続けてもらうのは、荷が重い。

子は鎹ではある以上に、子供の存在を通して、
自分が強固になることの大切さを学んでいくのが望ましい。

だって、私たちは、木材じゃないし。
人間だし、大人だし、間も無く初老だし。

いつか、子供が巣立ってしまったときに、
“いやぁ、子は鎹でしたねぇ”
なんて笑っていたとしても、
お互いが、ちゃんと成長できていれば、
きっと、隣に居続けられられるはずだし、

夫婦はそうあるべきなのだ。

「じゃあ、今日も成長すべく、子供達と全力で遊びますか!!」

と、私がいう。

これから1日が始まる。
まだまだ夏は終わらない。
そんな日の、何気ない、朝の会話。

子は鎹のはなし。

子は鎹

子供への愛情から夫婦の仲がなごやかになり、縁がつなぎ保たれることのたとえ

goo辞書より

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