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年始に日常を思う

年末は5日ほど連続で休みをとり、
大掃除から始まり、
年末年始の買い出し、年末詣や、遠方から来た友人とのランチなどなど。

年始は仕事だったので、
張り切ってマイクの前でお喋りしてきました。
1日はお正月の新春特番で、2年連続でお正月にお喋りさせてもらえることの有り難さを感じました。
朝9時から大笑いして、今年はいい年になるねぇ。
なんて話していた1月1日。

番組終了後に、地震のニュースをAIR-G'の事務所で知って、ただただ、周りの人たちと、
テレビのニュースを観ながら、立ち尽くすことしかできませんでした。



年始の挨拶というか、楽しかった出来事などを新年のご挨拶として、何度も、書こうと思ったし、
インスタ用に浮かれた写真を撮ったりもしたけど、
この辺まで書いて、結局気持ちが進まなくて、
だったら書くのはまだ先でいいか。って思っていたらもう三が日どころか、お正月休みが終わっていました。


私自身は、とても楽しく、穏やかに、家族や仲間達と過ごした年末年始だったんだけど、
地震や悲しい事故、火災などで、
それが一瞬にして奪われてしまった人がいるという事実が、
心に重くのしかかってしまって、
どうにもこうにも、楽しく過ごしてます!
という発信ができなかった。

“私たちの暮らしを自粛する必要はないんだ”
とか
“楽しく過ごすことに罪悪感を感じないで!”
など言われるけど、
理論的にはそう。
ちゃんとしっかり、私たちの毎日をいつも通り過ごして、なんならきちんと経済活動をして、自粛する必要なんてなし。わかってる。
わかってるんだけど、心が追いつかなかった、そんな年始でした。


我が家は、明日から日常というか、2024年の暮らしがスタートします。
仕事が始まり、児童会館や保育所が始まり、
「はぁ〜めんどくさぁ」
と思うようなことも、やらなきゃいけないから、やる。
ちょっとずつアクセルを踏むと、
そのうちに、そこそこのスピードが出るようになっていて、
はぁ〜めんどくさい、と思っていたことも日常になって、めんどくささが薄れていく。
当たり前になっていく。

しばらくすると正月にこんな風に感じていたことさえも、薄れてしまって、
別のことで悩んでいたり、いいことがあって楽しく過ごせていたりするのだ。

それが生活だし、暮らしなんだと思う。

永遠に、今と同じ感情ではいられない。
悲しくても楽しくても、日々は過ぎていくし、毎日毎日、生きてる限り、日常は塗り替えられていく。
そうやって、生きていくんじゃないかな、と思ってる。

だから、どうか、こういう、当然の生活や暮らしを、日常の楽しみを、営みを、
多くの人ができますように、と。
願うことしか今はできない。

忘れることのできない思いをした人たちが、
1日も早く癒されますように、と。心の底から願ってる。


私自身の日常が始まってしまう前に、
ここに記しておくことが、今の自分にできることなのではないかと思い、
ようやく今年最初のnoteを書こうと思えたのでした。


さて、今は子供を寝かしつけたベッドの上でこれを書いているのだけど
次女に、お正月楽しかったことを聞いてみた。
プリキュア展に行ったり、お年玉でガチャガチャをしたりしたから、そういう感じのことをいうかな?と思ったら
次女は、ニコニコしながら

「あのね…!トランプで、8ばかりが出たの。それが楽しかった!」

と、言って、スーッと眠りについた。

あぁ、私の日常だなと思う。
愛しい日常を守るために、
今年もしっかり生きていきたい。

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