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こんにちは!

全米NLP協会認定NLPコーチの花澤彩香(はなざわあやか)です。ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。このご縁に感謝いたします。

2021年現在、夫と共に似顔絵師育成事業を経営しながら、NLPコーチとしても活動しております。和歌山県の熊野川という豊かな自然に囲まれた、小さな田舎町で生まれました。小さな頃といえばとてもおしゃべり好きのおてんば娘だったと、母から言われます。当時、女の子の習い事ではあまり主流ではないかった「空手」にとても興味を持ち、母に「習いたい!」と懇願しました。母からは「あなた、女の子なんだよ・・」と言われ、私はピアノを始めました。優しい祖父母と両親に育てられ、小学3年生の春まで和歌山で過ごしていました。

そしてその夏、両親の離婚をきっかけに和歌山を離れ、母と兄弟と一緒に大阪へと引っ越して来ました。そこから、私の「新たな人生」が始まるのでした。

大阪に来て同時に、母の再婚が決まり、新たな環境、友達、空気、そして父親。血の繋がった父と血の繋がっていない父。小学3年生の当時、どちらのお父さんを呼ぶのにも、「お父さん」と呼ぶことに抵抗があった記憶があります。

再婚してから、幸せな生活、、とはなかなかいかず、血の繋がっていない父と母親との不仲、私は小学校4年生ながら母と兄弟を守るのに必死でした。とにかくこの父から母を守らなければ(言葉の暴力から)、弟や妹を守らなければ。という思うで3〜4年ほど生活をしていました。

その後、その父と離婚となり家族4人の生活が始まりました。同時に中学に進学し、クラブ活動は、バレー部に入部。厳しい顧問の先生、仲間にも恵まれ楽しい中学生活を送りましたが、家庭の生活といえば母は朝から晩まで働き詰め、しかしそんな中でも、心はとても幸せでした。

今思い返せば、その当時から「母や家族を守る」「母や家族の笑顔を守る」ために長女として、いつも強く生きなければならない。病気がちで、体に鞭を打って家族のために働いていた母の背中を見ながら、私がこの家族を守らなければならない。そう思って生きてきたし、そう、振る舞っていました。もちろん、心の中では誰かに頼りたいし、大声で泣きたかった。

しかし、私がそういう態度を見せるとこの大切な家族を苦しませてしまう。と当時の私はそう思っていました。この感情が今後の人生に大きな影響を与えることなんて想像もしていませんでしたし、30歳を迎えようとしている今、やっと、この感情に向き合い、現在では「感謝」の気持ちと、何にも変えられない「ありがたい経験」と思えるようになりました。

あの当時、夜中0時ごろ、弟と妹が就寝してからいつも家の玄関で、遠くから見える母が帰ってくる姿を心待ちにしていました。その時の玄関で感じていた風の冷たさや、車の音など、鮮明に記憶しています。悲しいとか、苦しいとかそんなことを感じる時間もないほど、この頃は懸命に家族助け合いながら生きてきました。

高校に進学し、家庭環境も少し落ち着いてきました。高校ではラーメン屋・パン屋・ホテルの清掃など様々なアルバイトを経験しました。家計を助けるため、社会を経験するため、私は部活動ではなくアルバイトをする。という選択をしました。この経験から「仕事」という大変さと楽しさを、高校時代に経験できたことはとても今後の人生に役に立つことだったと思います。

そして、私の高校時代といえば「韓国語」なしでは語れないほど、韓国語に熱中しました。その音、話し方、韓国語そのものに興味を持った私は「話せるようになりたい!」その一心で猛勉強しました。高校2年生の秋にあった「全国韓国語弁論会」で全国3位になった経験もあります。ただ、この結果が私にとってはとても悔しくて、「ここまで勉強しても1位にはなれないのか・・」と生意気なことも思っていました。笑

この頃から同時に「海外」「世界」「社会」にとても興味を持つようになり、留学したい!海外のまだ見ぬ世界に行きたい!と留学費用を貯めるために高校卒業後、フリーターの道に進みました。

卒業後も様々なアルバイトを経験し、社会の一員として働きました。ただ、なかなか資金が貯まらず、英語も進まない・・「私には無理なのかな・・」と夢を諦めてしまいます。今その当時を振り返ると、留学、英語、世界に挑戦するには相当な覚悟・本気度が必要でした。そこから「楽な道へ」私は逃げてしまったのです。できない自分を見ぬよう、それ相応の言い訳を連ね、結局は自分の意思が弱かったと言えます。

それからその道は諦め、母が経営していた一品料理屋で働くことになりました。私にとって、夜の仕事、お客さんとのカウンター越しの仕事は人生初めてでした。母からは「何もできなくても大丈夫、目配り・気配り・心配り、これさえできれば大丈夫。」と言われ、必死に母の背中を見て学びました。

そこで見た母の姿はとても人として美しく、強い女性でした。いつもお客様を考え、だけれども「YES」「NO」をお客様の気分を損なわせることなくきちんと伝えられる。料理を出すタイミング、お客様のグラスから聞こえる氷の音を聞いている。それでグラスの飲み物の量を確認している。

お客様の話し方、話す内容、仕草、目線、それをキャッチする力、受け取り、伝える力。プロフェッショナルだとそばで見ていて圧巻でした。そんな母から3年ほどビシビシと、時には大喧嘩したり・・育ててもらいました。この経験もまた、とてもありがたく、今の私をつくっている大切な要素の一つとなっています。そこから母が体を壊しお店をたたむ事になりました。

その後、企業での会社員を4年ほど経験し、現在の夫と入籍をしました。夫は似顔絵師/似顔絵講師なのですが、性格的にとても向上心・成長心が高く、世界・英語が好きという点でも共通点があり現在では、これからの人間としての成長を更に進めていきたいと考え、山崎千夏NLPマスタートレーナーからNLPとビジネスを夫婦で共に学んでいます。

可愛い年子の子どもにも恵まれ、現在幸せに暮らしております。

私のこれからの目標、夢はNLPコーチングを通して社会に貢献していくこと。日本のみならずグローバルにその範囲を世界に広げ、多種多様な世界で様々な学びを通して少しでも、社会の役に立つ活動していくこと。そんな人間でありたいと思っています。具体的に言うと、私はこの山崎千夏師匠から学んでいるNLP、NLPコーチングで人生が変わりました。

今までの人生で経験してきた喜怒哀楽全てのこと、様々な感情、経験。これは全て今の私をつくっているとても重要な要素であり、無駄なことなど一切なく、どれもありがたい経験、自分自身が成長するために、人生が私に与えてくれた最大のギフトであるということ。

叶えたい夢や目標も「自分次第」でいくらでも叶えられる。自分を効果的に使う事によっていくらだって叶えられる。それを行うためには「本当の自分」を知り、等身大の自分で生きることの重要性。「自分を知ること」の大切さを今になって、少しずつ分かるようになってきました。

自分を深く理解し、前向きに人生を歩める人が増えれば、さらに良い社会になるのではないだろうか。我が子や、そのまた孫のことを思うと行動せずに、学ばずにはいられません。NLPやNLPコーチングを通して私一人の力は微力ですが、社会の役に立つ活動をしていこうと決意いたしました。

どんな夢だって叶えられるし、それを実現できるのは「自分」しかないということ。これを私自身が体現していく事によって、見てくださっている方のお役に立てればと思っています。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。

長くなりましたが、ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございました。


NLPコーチ 花澤彩香 


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保有資格

・全米NLP協会認定
 NLPマスター・プラクティショナー
・全米NLP協会認定 NLPコーチング
 マスター・プラクティショナー
・全米タイムラインセラピー®協会認定
 タイムラインセラピー®
 マスター・プラクティショナー
2021年対面講義を受講予定
・RYT200 ヨガインストラクター



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