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2021年春学期 振り返り -修論-

(*中間発表の時に書いた記事に追記する形で、卒業後に修論の振り返りを書きました) 

中間批評では「Does place-making cultivate well-being?
- The case of the resettlement of Bhutanese refugee elders in Worcester, Massachusetts -」と題して、基本的にはアメリカで私が出会ったブータン難民(竹工芸を通して出会いました!)の視点での都市/ 広義のランドスケープを把握したいと思って認知地図やサウンドスケープやScentscapeなどなど調査/ 製作して発表してみました。ほぼ似たような内容を(切り口は違うけれど、、)Fall2020でとった授業たち、心理地理学、Landscape Representation、Postcolonial Disorders (医療人類学×メンタルヘルス)の授業で紹介。それらのクラスでは、かなりいい反応をもらえ、Design Anthropologyを教えている私の指導教官からの反応もよかったのですが、所属するデザイン学 Risk & Resilience の先生からは、まだまだ叙述的でノイズが足りないと指摘されました。ノイズが足りないって、、、何?!?!難民の方々と仲良くなって、人類学的調査をして、彼らに認知地図作りに協力してもらうだけでも結構というか、相当たいへんだったんだけどなぁ、と一瞬カチンときたのですが、よくよく掘り下げると、それは、客観性はあるけれど、個性がない、だから面白くないということ、かなと。これまでのEDAYAでの私の役割や、おそらく人生でのスタンスが、中庸を行く、だった私にとって、なかなか厳しい指摘です。デザイン学の論文は、その定義が定まっていないが故に、いわゆる学術論文のようにしても良いし、アート作品でもOK。どちらにしても、将来自分の意見をガンガン打ち出していくような職業/生き方をするのであれば、Risk& Resilienceの先生方の批評をちゃんと考えるべきだけれど、誰かの代弁者でありたい(もちろん完全にそうなれるわけないことは承知しつつ)人の為に行きたいと思ってきた私は、この修論制作を通していろんなことを考えることになりそうです。

ーー以下、ふと目に留まった、石井ゆかりさんの3年の星占いから。"特に、天秤座の人々は客観性を重んじます。自分で正しいと思ったことでも、第三者もそう思うかどうか、ということを重視します。ひとりよがりや独善を嫌うのです。「だれから見ても正しい」ことを、天秤座の人々は追い求めます。ゆえに、「自分だけの答えをつくる」ことは、天秤座の人々にとって、罪悪のように感じられる場合もあるようです。たしかに、客観性は大切です。広い視野を持ち、自分を客観視するのも、すばらしいことです。ですが、客観的な正しさ「だけ」を生きることに、どんな意味があるでしょうか。もし、あなた自身の、固有の答えが存在しないなら、「客観的な答え」という外側からの答えを表面に貼りつけた、ハリボテのような人生がそこに、立ち現れてしまうのではないでしょうか。自分がどう思うか、という「主観」は、人生のナカミです。自分だけの答えをまず、つくった上でなければ、客観的な意見は、役に立ちません。"

そんなこんな悩み抜いた私は「音」を切り口に据えることを決めました。空間デザインの理論の分野での研究があまりない、文系的でもあり理系的、EDAYAでやってきた竹楽器の活動ともつながっている、生まれつき左耳が聞こえないこと(はっきりとは言えないけれどやっぱり気になる存在としての音)音楽には人を繋ぐ力があること、音はそれを他の空間に移植するだけでその空間が変容すること、などなど、色んな理由で。

最終学期は、修論のみで、授業を取る必要はありませんでしたが、Yvette Jackson先生のSoundscape Composition and Social Justiceのクラスを聴講。基本は、ハーバードの音楽専攻の人たち向けの授業ということで、はじめこそ緊張しましたが、結果としては、飛び込んでみてよかった。1年前のSpring 2020に受講したCartographic Auditionのクラスが空間デザインの視点からの音へのアプローチの授業だったとすると、こちらは、音楽の側からの音の空間へのアプローチの議論。似ているようでいて、違うところも多く、両方の側のアプローチを知ることができたのは、とても貴重でした。

修論に掲載した図のひとつ

最終的な修論のタイトルは、Composing Soundscapes for Social Integration: Psychogeography of Bhutanese refugee elders in Worcester, Massachusetts デザインスクールでの学びをフルに盛り込んだ修論となりました。コロナで様々な状況が変わった中、それ故の出会いから生まれた論文でもあって、とても感慨深いものとなりました。以下、修論の要約の全文です。

Sound can transcend the boundaries of time and space. This thesis leverages the potential of sound to capture a sense of place and reinterpret space by transplanting it to new environments. Working with the Bhutanese refugees of Worcester, MA, this thesis explores how soundscapes of home can be used to address the social isolation of refugees in resettlement communities. Even within progressive communities, host residents can be indifferent to refugees even though they share the same space. By facilitating social integration and community well-being, this work seeks to move places from multicultural to intercultural societies where social interactions among people from different backgrounds move beyond mere coexistence. Interviews and observations are compiled to gain insights into how refugee elders navigate the resettlement environment. Soundscape compositions that demonstrate their psychogeographical understanding of resettlement experiences are produced based on the sounds collected from places elders spend most of their time, such as living rooms, kitchens, gardens, and craft spaces. By introducing the composition and a notation in new environments, boundaries between refugees and non-refugees physically and mentally are blurred, culminating with the proposed design intervention.

ちなみに、修論を書きつつ、難民の方々と知り合う中で進めていたDear Grandmother, のプロジェクトも、無事デザインスクールのKirkland Galleryとのコラボレーションで素敵に展開することができました。これは、ルワンダ難民で現在はアメリカに暮らす高校生が、祖母のストーリーを彼女が作るクラフトを通じて知っていく過程を、映像にまとめていくプロジェクトで、最終的には、デザインスクールの側面に大きなプロジェクションマッピングする形で、彼女たちに喜んでもらうことができました。コロナ禍で一時はどうなることやらと思った留学生活でしたが、最初のホームステイ先であったWorld Bamboo Congress代表のSusanne Lucasの紹介で、彼女の竹林に材料調達に来ていたRefugee Artisans of Worcester(RAW)のことを知り、ハーバードのCommunity Service Fellowshipをいただいたことが、RAWでのインターンにつながり、そこでの出会いが1年間のウースターでの滞在とブータン難民にまつわる修論にまでつながりました。本当に人のつながりと優しさに感謝感謝の、ハーバード修士生活となりました!

"Dear Grandmother,"プロジェクトのプロジェクションマッピング


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