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ひねくれチョコレイト1

 サングリアから始まり、スパークリングワインの赤、白、店のオリジナルというカクテルやハイボール、木嶋の入れた赤ワインのボトル。横浜駅そばのイタリアンバルと冠した居酒屋で、今夜もしこたま飲んだ。
 大学を卒業後、入社した広告代理店の同期で、もう七年の付き合いになる木嶋ともつれ合いながら店を出て雑居ビルの階段をくだる。二足のハイヒールが鳴らす不揃いなリズムが、どれだけ私たちの足取りがおぼつかないかを物語っていた。
 木嶋のトレンチコートの肩に腕をまわすと、彼女は愉快そうに空を仰ぐ。
 開かれたガラス扉から吹き込んできた温い春の夜風が、アルコールと煙草のにおいをふわりと浮き上がらせた。
 私と同じくらい食べたり飲んだりするくせに木嶋は細い。触れた肩も、私の隣を歩くふくらはぎも、百六十センチの平均体重の私より見るからに痩せている。
 それでもダイエットなんてしたことがないらしい。羨ましい、と思わず出かかった言葉を一瞬考えてから飲み込む。
 木嶋が叫んで拳をあげた。

「よっ、酔いどれ娘!」
「もう私らは娘って年じゃないから!」
「ひぃー! 世知辛いー」
「ホントそれ! ちょっとずつ男連中の態度も変わってきてるしな! 若い女じゃなきゃダメなんですか? って! 仕分けしてやりたい!」
「ちょっと、そのネタ、古くない? ほら、年がバレる!」

 およそ嫁入り前の女たちとは思えぬ酔っ払いの大仰な笑い声に、道行く私と同年代のスーツの男たちがぎょっと振り返った。
 そりゃそうだ。木嶋も私も自分たちがオジサンくさいという自覚はある。
 だけど、こうやって気の合う相手と酔うのが楽しいし、日々の仕事のストレスがアルコールによって浄化され馬鹿笑いでどこかに飛んでいくような気がするのだ。

「ごめん、電車に乗る前にもう一本吸いたい」
「はいはい、しょうがないなぁ」

 木嶋がここ数年で減少の一途をたどり絶滅危惧種になっているという喫煙所へと私を引っ張っていく。東口のルミネの前の、彼女のいつもの場所だ。
 私は煙草なんか生まれてこの方一度も吸ったことがないので、どんなタイミングで煙草を吸いたくなるのかなんて分からないけれど、木嶋は飲み会のあとも仕事のあとも、帰りの横浜線に乗る前にここで一服するのが常らしい。
 パーテーションで区切られた喫煙スペースには夜も十一時をまわったというのに、絶えず人が出入りしている。私たちと同じような酒のまわった会社員風の人から、ホストっぽい派手なスーツの男や大学生くらいの若い女の子たちまで人種は様々。

 木嶋が電子タバコをくわえながら中に入っていくのを見送って、喫煙所の前のガードレールに寄りかかる。会社を出てからずっとほったらかしにしていたスマホを取り出した。
誰かと一緒に過ごしている時にスマホをいじるのは相手に失礼だと思っているので、基本的に仕事の連絡が入る予定があるとき以外は手に取ることはほとんどない。
 むしろしょっちゅうサイレントモードにして震えないようにしているくらいだ。

 LINEのアイコンをタップして、こんな時、なんとなく顔を思い浮かべてしまう相手のトーク画面を開く。
 今朝、家を出るときに「おはよう」と送り合ったままの画面の、彼が送信した妙に顔の濃いクマが目を細めているスタンプをじっと見つめた。
 分からない。こういうのが今どきの若い子の流行りなんだろうか。

 まだまだ自分も若いつもりでいた。
 だって幼い頃に思い描いていたアラサーはもっと大人だったし、もっとしっかりしていた。夢の中では結婚して子供だっていて、ちゃんと余裕のあるお母さんになっていた。
 それが今や結婚願望はあるけど、まぁ別に周りもしてない人が多いしまだ焦らなくていいかと思いながら、いつの間にかもうすぐ三十で。ストレスをためながらもなんだかんだ楽しく働いて、休みの日には木嶋や、同じく独身の友人たちと海外旅行をしたり気ままに過ごしている。
 そのせいか冗談めかして言うほど年をとった気もしないし、感覚も若者と変わらないと思っていたけれど。だんだんと流行や好みに乖離が起きる。
 冬真くんと付き合いだしてから、徐々にそのことに気付き始めた。

 トーク画面の左側に表示されている彼の丸いアイコンをタップする。
 FILAのジャージみたいな上着を羽織った背中が海岸で伸びをしている写真。
 つい先日、突然、春の海が見たいと言い出した彼に連れられて湘南に行ったときに、こういうスポーティーな服装もやっぱり今どきで若いなぁ、なんて思いながら私が撮ったものだ。
 彼の前で凪いだ海が夕陽を反射してキラキラと光っている。
 あの時、写真を撮られたことに気付いて振り向いた冬真くんのくしゃっとした笑い顔を思い出して、胸がときめいた。

 冬真くんと初めて言葉を交わしたのはちょうど一年前の今頃。
 今年ほど桜の開花も早くなく、ようやくつぼみが膨らみ始めたくらいで、夜はまだ少し肌寒かった。
 職場のある横浜駅から相鉄線の急行で三十分。
 一人暮らししているマンションのあるその街は、広くて人口も多い、神奈川といえば横浜だよね! と言われがちな横浜市のお隣の市であるにも関わらず、駅から少し歩けばぽつぽつと民家や集合住宅がある他は田んぼや畑ばかりが目立つ。
 駅前こそ大型ショッピングモールや映画館などの商業施設が林立しタワーマンションや綺麗な建売住宅のコミュニティもどんどん建設されてはいるが、十分も歩けばどんどん灯りも減っていく。
いつもその帰り道で、自宅と目と鼻の先の交差点にあるコンビニに寄って弁当と缶ビールを買う。簡単な料理ならできるけれど、仕事から帰った後に料理をするのはどうにも面倒で、いつからかコンビニに立ち寄るのが習慣になっていた。

 毎晩通っているせいで、もうすっかり店員の顔を覚えてしまった。
 夜は三人の学生バイトが代わる代わるシフトをまわしているようで、ギャルっぽいキンキンに退色した茶髪の女の子と対極的に真面目で寡黙そうな眼鏡の男の子、そしてもう一人、目元にぷっくりした涙袋をもつイケメン男子がいた。
 クールにも見える整った顔立ちが涙袋のせいで人懐っこい印象になって、一目みて「これはモテるタイプだわ」と思った。それなのに髪型には無頓着なようで、いつもいかにも洗いざらしといったような無造作な髪に寝ぐせがついている。
 それがなんとも可愛くて、いつもつい目がいってしまう。
 私は彼がポスレジやレジ袋に視線を落とす度、ひょこひょこと揺れる毛先を眺めていた。
 相手が綺麗な顔をしているからといって随分と年下であろう彼とどうこうなりたいなどという感情は、この時の私には一欠けらだってなかった。
 彼の寝ぐせを観察していたことは、あくまでもマスコットキャラクターでも愛でるような、まるで下心のない行為だったと言い訳しておく。
 今考えると、アラサーの酔っ払うとオッサンくさくなる女がハタチくらいのイケメン男子を会う度にちらちら見ているなんて、なかなかに恐怖である。

 あの夜も彼が身動きをするたびに寝ぐせが揺れるのをちら見しながらお会計をし、ビニール袋を受け取って店を出た。
 購入したのは女性向けに開発されたのであろう細々としたおかずと雑穀米の入った弁当、発泡酒のロング缶。栄養が偏ることと女子らしさを放棄していることへの無駄な抵抗が我ながら虚しい。
 信号を渡ってすぐの単身者向けマンションの自室に戻って手洗いをし、ローテーブルに買ってきたものを並べる。そこでレジ袋の中に、買ったおぼえのないものが入っているのに気が付いた。

 子供の頃から売っている、ころんと小さな正方形のチョコレート。ピンクのセロハンに苺がプリントされていて、先週あたりからレジカウンターの端に期間限定のフレーバーとして並べられていたのを思い出した。
 ストレスには酒! タイプの私も、定期的に自棄気味に思いきり甘ったるいチョコレートを食べたくなる時がある。
 そんな日は夕飯を買うついでにあの店でこの四角いチョコの定番フレーバーをいくつか買うこともあった。でも今夜はかごに入れた覚えはない。ましてやレジ横のものなんて入れるはずがない。
 あの時、私は手元の財布をいじるふりをして誤魔化しながら、彼の寝ぐせを見つめていたのだから。

 気が付かなかっただけで元からかごに紛れていたのかもしれない。誰かの悪戯でかごに入っていたとか。前の人の買い忘れとか。
 念のため財布からレシートを取り出して確認すると、何故かチョコの分は印字されていなかった。お金を支払っていない以上、このままに食べるわけにもいかない。
今日は社外を歩きまわって肉体的にもくたびれていた分、正直、ちょっと億劫だ。
だけど、行かないと。
 私はため息をつき、スーツ姿のままクロックスをつっかけて玄関を出た。手には肩からおろしたばかりのハンドバッグとチョコレート。
 くつろぎモードに入りかけ、髪もヘアクリップでくくってしまったけれど、まぁいいか。
 
 オートロックのエントランスを出ると、通りの向こうに夜闇にやけに煌々と光るコンビニが見えていた。
 住宅と田んぼばかりになるこの辺りでは街灯の他に明るいのはそこだけで、駐車場でたむろする高校生や休憩中の物流トラック、店内にはガラス越しにマガジンラックの前で立ち読みしている中年の男性の姿も見える。
なんだか夜の海辺にどっしりと佇む灯台みたいだ。寄る辺のない町人たちの道しるべ。

 信号待ちの間、体温で溶けないようにそっと手のひらに載せたチョコレートを見下ろす。
 ころんと小さな四角いチョコ。この子はどうして今、私の手のひらの上にいるのだろう。
 可愛らしい苺のイラストがそんなものはこちらが聞きたいと困ったように私を見返しているように感じる。
 それにしても今日は疲れた。
 そのまま店に返そうかとも思ったけれど、やっぱりきちんとお金を支払って食べてしまうのもいい。

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#haccaノベル

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