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これまで保険を何度かけてきただろう。

“後悔してもいい
だが最後には自分の選択を愛せ”

右足が先か、左足が先か。
こんな小さなことから、人生をかけるようなことまで、いつもなにかを選んでいる。

そんなに選んでばかりいれば後悔することもある。

そしていつか後悔という経験を繰り返すと
“後悔したくない”という感情が芽生えることがあり、
後悔をすることは避けるべき最悪の事態であるかのように、できるかぎり後悔をしないような選択をする。

“後悔をしない人生を”

後悔しない人生とはなんだろうか。
なぜ後悔をしないようにするのだろうか。

心地よく、満たされて、機嫌良く、楽しく、できるだけいつも最善でいたいと願う。

理由なくそうなれないときは、自分に責任を問い、その状態から早く逃れる方法を探す。

だって、選択の連続と言ったって、
いまこのひとつの選択はもう二度とこないのだから。

”いちどきりの人生“
なのだから。

後悔しないように、悔いのないように目一杯、自分を生きるために、時としてそんな勇気をもらうために必要な心だろう。

ただ、”後悔したくない“ために”後悔しないほう“
を選ぶことはいつも最善だろうか。

ときに後悔する不完全さ。
ときに上手くいかない、ときに意味もなく満たされない、そんな不安定さ。

それもまた螺旋状に広がる人生のなかで繰り返されることだろう。

そんな不完全さや、不安定さ、そして後悔の数々はなにを与えてくれただろうか。
振り返ったときに、それはどんな意味を持つだろう。

全て正解と思えるような選択の末の完璧を求めるより。
いつかのしあわせやいつかのために生きてみるより。
なにかを恐れるより。

この文章の冒頭に戻る。


“後悔したっていい。
だが最後には自分の選択を愛せ。”



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