見出し画像

私、いい人じゃないんだ。ごめんね。

いい人だね。

小さいときからそのような類の言葉を言われる機会は
それなりに多かった。

親、先生、バイト先の上司。

いい子だね。
優等生だね。
しっかりしているね。

でもね、私。

そんな言葉が似合う人間じゃないんだ。

ごめんなさい。




「いい人だね。」という言葉が苦手。


もちろん、言われて嬉しいのだ。
そのような誉め言葉は。

私も、私なりに
人に優しくしたい、役に立ちたい、できた人間になりたい。
と根本的に考えているので
それが表に出ていて
感じ取ってくれている人がいる
ということは、とても嬉しい。

しかし

もうお腹いっぱいというほど言われると
その人の思う
いい人にならなくては
という思いが巡る。

期待に応えなきゃ、しっかりしなきゃ、我慢しなきゃ。



だったらもういっそ、できないヤツとかダメなヤツとか悪人になりたい。


もし
制服は乱れ、先生の言うことも聞かず
誰彼構わず殴っていたヤンキーが
急にネクタイを締め、困っているクラスメイトを助け
床のごみを何事もなくサッと拾ったら

きっと皆
あいつは本当に気が利く
だとか
あいつはちゃんとしてるな
なんて

まるで今までのことがなかったかのように
いままで蹴っていた石がダイヤだと気付いたように
初めて立って歩いた赤子のように
もてはやすだろう。

対して普段からネクタイを締め、困っているクラスメイトを助け
床のごみを何事もなくサッと拾っている人「いい人」が
ヤンキーが変わる前から
その行動をしているのに
みんなの中でそれは日常となる。
だから他に気が利くことをしても
「当たり前」だと思ってしまう。

で、もし意図せず言葉で人を傷つけたとしよう
ヤンキーの方は
まあ、昔ヤンキーだったからしょうがないか
とデフォルトが「悪」なので
「悪」を犯すことは日常に溶け込んでしまう。
黒の絵の具に黒を足したような。

しかし、
いい人は
デフォルトが「良」なので
「悪」は異物なので目立ちやすい。
故に、1回の失態が命取り。
白の絵の具に一滴黒を落としたとうな。

もうどんなに白を混ぜても白に戻ることはない。


きっと、他人の優しさに敏感な人がそばにいれば
多少は救われるのだろうが
あまりにも不平等ではないか。



というか、そもそも「いい人」ってなんだ?


私は、「いい人」と言われるのが苦手なので
本人を褒めるときは使いません。

だって、褒めるには曖昧過ぎるもん。

「いい人」って何?

優しい人?
なんでも黙って言うこと聞いてくれる人?
扱いやすい人?
当たり障りのない人?

と私はなってしまいます。
ちなみに、私がもし人を表すときに
「いい人」という言葉を使うとしたら

当たり障りのない、ある程度優しい、近くも遠くもない人で
ふたりきりで何かするには気を遣うかな。
関わる分には害を与えない人。
自分が手玉に取りやすい。

というニュアンスで使うと思います。
この意味全部を織り込んだというわけではなく
一部を含んだ場合にも使います。

ざっくり言うと
表現する言葉がない。

つまり
「いい人」って便利な言葉なんですよね。

(これで知らない間に自分が使っていたらどうしよう汗)



私は「いい人」なんかじゃなくて「人間」だよ。


私に「いい人」という言葉をかけてくる人は
どのような意味合いで使っているのかは分からないが、

誰かに嫌な感情を持ってしまうこともある。
失敗をしてしまうこともある。
余裕がないときもある。

というのを頭に入れておいてくれるとありがたい。

たまに神格化してくる人もいるので
私は綺麗な部分も汚れた部分も混ざった
ただの人間なんだよ
っていうのを伝えたいです。


人を善悪で決めるには余りにも足らない。


人間って「いい」とか「悪い」で決められるほど
単純なものじゃないと思うんですよね。

気が合う、優しい、一緒にいて楽しい
でも相性100%の人なんて存在しないので

あれ?

と思うことがあるかもしれない。

でもそう思うことがあっても

揺るがないものがある。

辛いときに助けてくれた。
迷う自分に背中を押してくれた。
尊敬できる部分がある。

だから一緒にいるのかな。
と思っています。

なので
私が心を許す人の中で
誰かに対する憎い感情を打ち明けられても
打ち明けた人や憎いと言われた人のイメージが変わることはないですね。

基本的に自分が関わってどう感じるかで判断するのもあるんですけど
悪いところのひとつやふたつはあるでしょというスタンスなので。


神様って触れられないところにいるんだよ
というお話でした。


YouTubeやっています。よかったら覗いて見てください☺︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?