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「好き」の表現は、心のビタミン

「懐かしいね、もう5年も前の話になるのか」

電話口から相変わらず柔らかい声が聴こえる。声の主は、地元にいる親友。

彼女のことは一度文章にしたことがある。個人的にもお気に入りの文章。そこでも綴った予備校の時を思い出して、昨日は2人で会話に花を咲かせていた。

「あの時、『いい!』『好き!』って感じたこと、毎日のように言葉にしていたんやね」

5年前の記憶を遡っていると、私の口からはそんな言葉が漏れた。たぶんそれは、最近考えていたことが5年前の記憶と妙に繋がったからだと思う。

今週の私は、「リツイート&いいね魔」と化していた。Twitter上に現れる、心の共鳴するものを次々と「いいね」と「リツイート」

思い返せば、私は自分の「好き」や「いいな」という感覚をあまり表現して来なかったかもしれない。

多分、小学生の頃くらいから、私の「好き」だと思うものは、当時の同級生たちの中では少し浮いていた。

確か任天堂DSが初めて発売されたのが、私が小学1年生の頃。学校では、昨日のテレビ番組の話か、ゲームか、ポケモンの話で持ちきりだった。

そんな当時、私がハマっていたのは童謡詩人の金子みすゞ。母の影響で好きになり、小学生時代に何度「金子みすゞ記念館」に足を運んだかは分からない。

他にも夏休みの自由研究と言えば、周りが貯金箱や工作をしたりする中で、私はおばあちゃんの家の軒下の巣にいるつばめの赤ちゃんを毎日観察して、ひとつの紙芝居にした。第二次世界大戦のことを画用紙1枚に調べてまとめ、防空頭巾などのミニチュアを手縫いで作ったりもしていた。

そんな自分は周りと「なんか違う」と思い始めたのが、中学校に入学した時。

その頃から自分の内面は、家の中だけで表現するようになった。

学校では、周りが求める反応や周りがどんな反応をするかを先回りして考えて、自分の内面を演じていた気がする。だから毎日馴染めているか不安で、オドオドしていつも誰かの顔を伺っていた。

そんな私が、唯一自分の内面をそのままに表現したのが予備校の時。

受験勉強も「面白い!」と思えば、そのままそれを表現し、「この先生好き!」と思えば、誰の目も気にせず質問しに行っていた。誰かの目よりも自分の好きだと思う服装と髪型をして毎日予備校に通っていた。

そんな自分は、今までの自分で1番堂々とキラキラしていた。

そしてここ数日、5年前に置き去りになっていたこの感覚が蘇って来た。

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かみつれ

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