見出し画像

精神科クリニックで元気をくれるのはいつだって患者さんだった #一人じゃ気づけなかったこと

「私ね、冬がすきなの」

暖かそうな毛糸のマフラーをつけた彼女は、受付に座る私に保険証を渡しながらゆったりと微笑んだ。
「どうして冬がすきなんですか?」
訊ねると、彼女はさらに笑みを深めながら当たり前のことのように答える。
「だって冬は、今日は暖かいなぁというだけで幸せな気持ちになれるでしょ?」

暖かいというだけで幸せ。
それを聞いて、ハッとしたのを覚えている。
冬は寒いから布団からなかなか出られなくて、空気も乾燥していて、暗くて雪が積もって……
そんなふうにいやな部分ばかり見ていた自分に気づいた。
彼女は躁鬱病患者で気分が落ち込むことは多かった。だけど私よりずっと、小さな幸せを方法を知っていたのだ。

精神科ってこわいの?

私は三年前、精神科クリニックの受付で働いていた。
患者さんから診察券と保険証を受け取り、診察室へ案内し、レジ業務を行う。
これだけだと他の病院と何ら変わりないが、精神科であるとそれだけでは終わらない。

まず、椅子に座って診察を待てない患者さんがいる。
常に行ったりきたり、その場を歩き回っていないと、足がむずむずして不快感があり落ち着けないそうだ。

また、診察券を渡すまでに自分なりのルールを設けている患者さんもいる。
クリニックの扉を開いてから、まっすぐ七歩目で受付にたどり着かなければならないらしく、それができないともう一度最初からやり直しで、結局受付に到着するまでに数十分かかることもあった。

他にも、歌う人、頭を前後に振っている人、泣いている人、笑っている人。
様々な感情が待合室に混ざり合い、側から見るとシュールな空間だったが、患者さんそれぞれに合わせて丁寧に対応し診察室に案内するというのも私の仕事だった。

「そんなところにいてこわくないの?」

人からよく聞かれたが、私ははっきりこう答えていた。
「こわくないよ。厄介な人は世の中にもっといるでしょ?」

ふつうってなんだろう

「まだなのか!なにしてるんだ!」
院内に怒号が響いた。
待っている他の患者全員に緊張が走るが、みんな聞こえないふりをするように俯いている。

「申し訳ありません、ただいま混み合っておりまして……」
「患者を待たせるとは何事だ!こっちは金払ってんだぞ!」

立腹しているのは60代くらいの男性だった。
文句を言っても仕方がないことなのに、もはや受付に大して八つ当たりしているようにしか思えない。
この日だけではない。別の日にも、他にも時間を守らずに勝手に来院してしまう人、患者への態度が悪いと憤っている人などを見かけることがあった。

ちなみにこれは、私が受付をしている精神科での話ではない。
"ふつう"の歯科医院での出来事だ。

精神科に通う患者は、自分の意思で治したいと考えている人たちなら「自分の精神状態はいま、少しおかしいぞ」ということに気がついている。
治りたくて、自分を変えたくて、病院に来る。
「頭のなかでもう一人の自分がうるさいんです」
と泣きながら訴えてくる人も、「水を飲むなって命令されてしまって」と脳内ルールにがんじがらめになって苦しむ人もいる。
体調が悪いときがあるからこそ「ふつうの状態」に気づくことができる。

店員を叱り付ける客や、割り込みする人、理不尽な権利を主張する人などは街中でも多く見かけるが、たぶんみんな「自分は正しい」「正しい自分の理論がふつうである」という間違ったふつうの概念を持ってしまった人たちなのだろうと思う。
こわいのは、果たしてどちらなのだろうか。
本当にこわいのは、「自分がふつうではない」と気づいていないことだ。

考え方が違うって、おもしろい

クリニックでは認知行動療法を行っていた。
物事を柔軟に捉えるための訓練で、私も一緒に参加させてもらったことがある。

やり方は簡単だ。例えば自分が体験したいやな出来事をひとつあげる。
「朝、電車のなかで人に押されて嫌な気持ちになった」
と私が言うと、それに対して他の人たちがいろんな考え方を挙手していく。

「もしかしたら、押した人はトイレに急いでいたのかもしれない」
「もしかしたら、謝ったけれど自分が聞こえなかっただけかもしれない」
「もしかしたら、その人も誰かに押されていたのかもしれない」
「もしかしたら、自分が邪魔なところに立っていたのかもしれない」

一つの出来事の中でいろんな「もしかしたら」を考え、嫌な気持ちになった自分の心を落ち着かせていくのだ。
自分の視点だけで物事を考えず、立場や見方を変えていくことで、凝り固まった思考を柔軟に変化させ「まぁいいか」と切り替えることができる。
これは精神科ではよく行われているが、実は患者ではない人たちも必要な訓練なのかもしれない。
実際、私は体験として認知行動療法をやってみて、いやな気持ちがすぅっと引いていくのを感じた。
怒りを覚えた感情について深く掘り進めていくことで、正常に戻すことができたのだ。


ある日、待合室で「まずいまずい」といいながらパンを食べている患者さんがいた。
「なんでまずいパンなんか食べてるの?」
と聞くと、彼は「いや、これはダイエットだから」と得意げに答えた。

「美味しいパン買っちゃうと我慢できなくてたくさん食べちゃうけど、まずいパンならいっぱい食べないで済むからね」

その考えはなかった。
「"ふつう"なら、まずいパンよりも美味しいパンの方が"いいに決まってる"し、それが"当たり前"だ」
そう考えてしまっていたら、この話は終わりだった。

「まずいパン」という一見マイナスでしかないことを、彼はポジティブに転換したのだ。素直におもしろくて、私にはなかった新しい視点に驚いた。
違う考え方をする人と話をするというのは、発見を生むことなんだと教えてくれるのは、いつも患者さんたちだった。

人の価値観をすべて理解するのは難しいだろうし、全員の立場を考えるのは疲れてしまうかもしれない。
それでも、誰かに苛立ちを覚えたときや、相手の意見を疑問に思ったときは、立ち止まって考える癖はつけておきたい。
考え方のアップデートをすることで、人にも優しくなれるし、自分の気持ちもすこし楽になるはずだ。


#一人じゃ気づけなかったこと


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?