走っている時、自分はこの世で1番強い
私が走る理由、それは「強くなるため」
普段の私は弱い。
仕事に対して、いつもビビっていて周りの目を見ながら、石橋に手を叩いて渡るように、恐る恐る進めている。
自分の意見に自信が持てなくて、愛想笑いして周りに合わせている。
自分が1番と誇れるものがなくて、いつも下手に出て話をしている。
自分なんか…とおもって、どうしても他人の意見を優先して自分の感情を抑えている。
上司、先輩、イケている同期、後輩、友だち…そういう人たちから劣等感を与え続けられる毎日。
自分は、世の中の誰よりも何もできないのだも思ってしまう毎日。
そんな私が唯一優越感、少し強くなった気分になる時がある。
それは、「走っている時」。
去年の11月、「中高6年間陸上部だった」という理由で会社のおじさまたちと皇居ランをすることになった。
仕事を定時に終わらせて、皇居近くのランステに集まり準備をして自分のペースで走るというもの。
皇居ランでよく見る「みんなで一緒のペースで走る」ということはしない。みんな、市民ランナーだったり、元陸上部だったり、とそこそこ走っている人たちなので「「ガチ」」部活だ。
戦う相手は自分。自分がどこまで行けるか確かめて、終わった後は安い中華屋の食べ飲み放題で食べて飲んで陸上談義。
皇居ランは月一で行われる。私は、少しでもちゃんと走れるようになりたくて、この半年間、休日も走り込んできた。
「走ってます」というと、先輩、上司、後輩から「すごい」と関心される。
「よくそんな長い距離走ろうと思うね」
「走っていて何が楽しいの?」
とすごく言われる。
何が楽しいのか。
答えは2つ。「自分は強い」という優越感に浸れるから。そして自信がつくからだ。
そして、「自分」だけの真っ白な世界に行くことができ、心も身体もリセットされるから。
そもそも「走る」とは人類にとって辛い行動だと思う。サッカーのように、ボールを蹴りながらジャンプしたり、味方にパスしたりという相手と連携するプレーは一切ない。
ただ、ただ、この道を走る。信じるのは己の身体のみ。自分しかいないから単調で、孤独で辛い。
小中高にあったスポーツテストの「シャトルラン」を思い出してほしい。姿が見えない敵をひたすら追いかける、あの追い詰められて少し嫌な感じに近いと思う。
走るのはスポーツの中で結構しんどい。だから多くの人は自ら好んで走らない。
普段、私を厳しくご指導している先輩も、優秀な同期も後輩も、リア充ぶっている友だち、知り合いも、みんな走りたくないと思っている。
でも、私は走る。走ることができる。
みんなが嫌がるランニングをしている。
そう思うと、走っている時は少し自分が、周りの人たちよりも先に行けたようなきがする。
走らないと見えない世界を見ることで、成長した気がする。
走る距離が伸び、タイムがどんどん縮むことで自分がつよくなった気がする。
身体だけではない。
5キロ、10キロと弱音を吐かずに走りきることで、周りの人よりも強くなった気がする。
何も自分にはメリットがないのに、5キロ、10キロを走る自分は偉い気がする。
そんな時だけ、普段怒られている先輩たちに向かって、友だち、後輩に向かって「ドヤ顔」できる気がする。(サイテーな自分)
あと、長い距離を走ると、仕事でトラブルが起こった時なんとかなる気がする。だって、10キロ走るよりは簡単にことがこなせそうな気がするから。
実際、半年間でメンタルは鍛えられた。
これからも走り続けて優越感に少し浸りながら長い距離を走り続けられる忍耐力を鍛えていきたい。
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