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読書メモ The Joy of Living 13

Part Two: The Path - Chapter 13 - Compassion: Opening the Heart of the Mind

もし私たちがお互いに対する親切心(loving-kindness)と思いやり(compassion)を育くむことができれば、法律や軍隊や警察や拳銃や爆弾は必要ないだろう。広い心を持つことは最上の安全保障だ。

仏教では、親切心によって全ての生き物が同じ喜びと自由を感じられる。知的なコンセプトとしてではなく、親切心の対照を全ての生き物に広げることはチャレンジである。

思いやりとは、本質的には全てが影響し合っていることを認識することだ。

分子構成要素の小片の近年の実験結果によると、一度繋がりを持ったものは全てその繋がりを永遠に維持するという。現代の物理学によると、ビッグバンの始まりに全ての物質は繋がっていたので、私たちの宇宙の中で一つの構成要素が影響を受けると全てが影響を受けることは論理的に可能だという。仏教で言うところのインドラの網はいつか科学が証明するかもしれない。

親切心と思いやりの訓練には時間がかかる。3つのレベルがある。

レベル1:
私たちが古代から持つ爬虫類脳は今直面しているのが敵か友達か瞬時に評価しようとするが、私が正式な訓練の中で学んだ重要なことの一つは、自分の心の自然な働きである思いやりに蓋をすると、不可避的に自分を小さく感じ、傷つきやすく、恐怖を感じるようになるということだ。思いやりの瞑想の訓練を始めると、孤立した感覚は弱まり、自信が強まった。

親切心と思いやりを育むことは、自分に感謝して自分を認めることから始まる。
瞑想でボディスキャンをするときに自分の心や体に感謝する。そしてこの感覚や、自分が幸せを感じる他のことをいつも楽しむことができたらどんなに良いだろう、と考えてみる。3分以下の短い時間でこの訓練をし、心を休ませる。そのことによって脳が新しいパターンを構築する時間をとり、新しい意識を安定させることができる。

この訓練で自分が幸福を望んでいることに慣れると、その気づきを自分の周りにいる生き物に拡大するのは容易になる。親切心と思いやりの訓練の真髄は、全ての生き物は不足なく、安全で幸せを感じたいのだということを認識することだ。この点、自分と他の生き物に変わりはない。このことに気づくと他人や他の生き物を怖がる理由はないと分かる。優しさと温かさを感じられる存在を心を休める対象とする。母親、親切な親戚、先生、友達、子供、ペットなど。2、3分温かさや愛情を感じ、その後対象のない瞑想に戻って心を休める。あなたの瞑想の対象も同じ温かさや心の広がりを感じることを祈る。

さらに進めるには、2つの方法がある。一つは対象が悲しい、苦痛な状況にいると想像してみること。これは心が壊れそうになるだろうが、壊れた心は広がりのある心だ。心が壊れるたびに、愛と思いやりがあなたの中を流れる。

もう一つの方法は、「私はどれくらい幸せになりたいのか、苦痛と苦しみを避けたいのか」と自問してできるだけ具体的な答えを出す。そして対象に戻ってその人が同じ状況にあったら、どう感じるだろうかと考えてみる。

好きではない人や物を対象にする場合は判断や正当化はしないことで心の広がりや明瞭さを感じることができる。次にその人を嫌だと思う原因になっている怒り、恨み、嫉妬、欲望を感じていることを自分に認める。そして自分がその人だったらと想像して怒りや自責、恨みを感じる。人を傷つけることを言う人は自分が安全と感じられず、幸せでもない。彼らは怖いのだ。そしてあなたも、怖いと感じるのがどういうことか分かっている。他人の立場に立ってみるとは、基本的にはこれを理解することだ。

レベル2:
宇宙には無限の生き物がいるが、私が幸せを求めるように、全ての生き物は幸せを望んでいる、私が苦痛を避けたいように、全ての生き物は苦痛を避けたい、と覚えておくことがポイントだと私は教わった。無数の他は一人の自分より大事である。このように考えると、他が苦しみから自由になることを望むようになる。

瞑想の時に息を使って自分の幸せを送り、他の苦しみを吸収する。吐く息で自分が幸せを純粋な光として送りだし、他のニーズを満たし、苦しみを無くすと想像する。吸う息で全ての生き物の苦痛を苦しみが暗く曇った光としてあなたの鼻から吸収されてあなたの心で溶けると想像する。全ての生き物が苦しみから解放され幸せであると想像する。このように少しの間瞑想した後、心を休める。これを繰り返す。

この瞑想によってあなたの心はより明瞭に、平穏に、集中できるようになり、直接的、間接的に他を助けることができる能力が高まる。

レベル3
悟りを開いた心に、主観と客観、自己と他の差はない。全ての生き物が自然と認識されている。

絶対的な悟りに至るためには、相対的な悟りを得る必要がある。
相対的な悟りを得るには、それを望むことと実践が必要となる。

私たちの多くは蚊やゴキブリやハエを叩くが、相対的な悟りを得るには蚊を叩いたり、自分と反対する人を責めたりすることは同じことだと認識する。私たちが戦うか逃げるかを決める、私たちに深く埋め込まれた爬虫類時代の脳の反応である。

悟りを得るための実践には様々な方法がある。盗んだり、嘘をついたり、噂話をしたり、苦痛をもたらすような話し方や行為をしないこと。他に対して気前の良い行動をとること。口論を鎮めること。自制心を失うことなく、穏やかに話すこと。他の人にいいことがあったら喜ぶこと。このような行動は瞑想を日常生活に広げる方法となる。

全ての生き物が完全に自由で、その真実のあり方を認められて完全に幸せであることを目指そうという意志を持つこと以上に偉大なインスピレーションと勇気はない。達成するかが大事なのではなく、意志を持つだけで、あなたがこれを目指して鍛錬を重ねるうちに、あなたの心は強くなり、あなたの心の苦しみは減少する。あなたは他を助けるスキルを身につけ、そのことで自分自身が幸せになる。

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