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読書メモ The Joy of Living 14

Part Two: The Path - Chapter 14 - The How, When and Where of the Practice

瞑想にはなぜそんなに多くのやり方があるのか、どれが自分に合っているのかとよく質問される。多くのやり方があるのは人によって何が効果的と感じるかは異なるからで、どれが自分に合っているのかは試行錯誤しないと分からない。

技術的なことは問題ではない。どのように自分の心を休めることができるかが重要だ。心を観察し、心に振り回されないようになることだ。

対象のある瞑想と対象のない瞑想を繰り返すことで、少しづつ起きていることの全てが自分自身の意識と密接に関係していることが分かるようになる。

正式な座り方で瞑想するのであれば、朝一番が効果的だ。

生活の中では、短い瞑想を何度も繰り返すことも効果的だ。
瞑想とは、ありのままの心を知るための訓練であり、仏教の教えで何かを矯正するということではない。

効果的な短い瞑想とは、短い間、他のために尽くしたいことをまず思い起こす。その後また短い間、心を休める。ここまでで短くとも1分かかる。その後、1分半は自分が選んだ訓練(視覚、嗅覚、音、思考、感情、他への思いやり)をする。そしてまた1分程度心を休める。最後の30秒、この瞑想による力と知恵を全ての生き物に捧げますと考える。これによって自己と他を分けて考えるニューロンの癖をほんの少し解くことができる。

仏陀の初期の生徒はほとんどが瞑想の時間など取れない農民、羊飼い、遊牧民だった。そこで仏陀はいつでもどこでも瞑想できる方法を考えた。瞑想を日常生活に取り入れることは、仏教の訓練の中でも重要なものの一つだった。

日常生活の中で瞑想をするには、目標を定めることが重要だ。例えば1分か2分の瞑想を合計で25分間、など。日常生活の中で瞑想をしてみると瞑想をするにはどこか特別な場所へ行かなければならないと思わないようになり、気の散ることに対処できるようになってゆく。

道を歩くときに瞑想することができる。意識して周囲の様子に意識を向けるようにする。あるいは、脚の動きや地面の感触、呼吸など自分が歩いている肉体感覚に意識を向ける。

料理や食事も練習の機会となる。例えば野菜を切るときに野菜の色や形に意識を向けるなど。

あるいはどのような活動をするときも、対象のない瞑想をすることができる。単純に心を開いて心を休める。執着も嫌悪も持たない。

寝ている時にも瞑想はできる。対象のない瞑想でも良いし、眠いという感覚にやさしく意識を向けることもできる。

ブッダの教えの真髄は、正式な訓練で空、知恵、思いやりを経験したとしても、それを生活のあらゆる面に活かせなければ意味がない。私たちがどれだけ心穏やかで、洞察力があり、思いやりがあるかは、日常生活での困難にどう対処するかによって計測される。

一番大切なのは心の穏やかさ、明瞭さ、自信と平和を感じられるような訓練を見つけ、実践することだ。

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