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読書メモ The Joy of Living 12

Part Two: The Path - Chapter 12 - Working with Thoughts and Feelings

瞑想中に考えが沸き起こってきたら、それを良くないこととは思わずにそれは空であることを認識し、そのままにしておく。

様々な思考と感情の「狂った猿(crazy monkey)」は神経学的には人類の生き残りへの脅威に対してする反応としてプログラムされている。しかしこれら古代の生き残るためのパターンを離れて自由を発見することは可能だ。

考えることは心の自然な活動であり、瞑想とはこの思考を止めることではない。瞑想とは心をあるがままの自然な状態に休めるプロセスで、思考、感情、感覚はそれが起これば認識する。思考と思考の間に自然な心の広がりを経験することができる。この練習を繰り返すと、思考と思考の間が長くなり、より直接的に心を休める経験ができるようになる。瞑想から思考に心が逸れたと分かることは素晴らしい。

瞑想に思考を利用するには、まず1分ほど心を休める。その後2分ほど自分の思考に意識を向ける。そしてまた1分心を休める。

自分の思考が怖いと感じるのは、思考に自分を支配する力を与えてしまっている。怖がれば怖がるほど思考には力が大きいように感じる。しかし自分の思考を観察するようになると、思考が自分を支配する力は衰える。

瞑想とは多くの人が思うよりずっと簡単だ。何を経験しようと、自分で何が起きているか意識できている限り、それは瞑想である。瞑想をするのはだるいなと思ったらそのだるさを観察することで良い。その特定の瞬間に経験したことを観察するのが瞑想である。

否定的な思考に瞑想の中で意識を向けると、2つのことが起こる。
一つは心が落ち着くこと。
もう一つはそのような否定的な思考は現れたり消えたりし、洗濯物を畳んだり、買い物をしたり会議の準備をしている時には消えてしまうことが分かり、最初に思ったほど強固でも強力でもないと分かってくる。
このように否定的な思考について訓練を重ねると、筋肉を強化するように徐々にストレス耐性を高めることができる。

肯定的な感情、例えば子供とその子への愛、災難に遭っている人とその人への共感、なども瞑想の中で意識を向けることができる。

否定的な感情の場合は感情の対象ではなく、感情そのものに意識を向ける。知的な分析をせずにその感情を眺める。執着することも、ブロックすることもせずただ観察する。すると、最初に思っていたほどその感情は大きくも力強くもないことが分かる。

パニック障害を克服した時のプロセスも同じだ。単純に自分の恐怖を観察した時、克服できないほど強大な恐ろしい怪物ではないことが分かるようになった。ただ私の心にはそのように映っていた。そのことは、ぐるぐる回る分子構成要素の小片の塊が一つの実態のある物質に見えることと似ている。私は自分の恐怖を表れたり消えたりする一時的な感覚であると思えるようになった。

否定的な感情についても、感情の対象が無視することができないほど明確な場合は、ブロックするよりは瞑想の対象とした方が良い。

私たちが恐れているものが私たちを殺す、という思い込みを直接眺めてみると、それが徐々に瞑想の強力な助けに姿を変える。精神的苦痛は敵ではない。それらは私たちの友達だ。これは受け入れ難い真実だ。

嫌な経験、恐ろしい経験、私たちを弱くすると思わせるような経験は、その同じくらいの程度で私たちを強くし、自信をつけ、より心を開かせ、自らの仏性の無限の可能性を受け入れることができるようにする。

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