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読書メモ The Joy of Living 8

Part One: The Ground - Chapter 8 - Why Are We Unhappy?

世界を旅して先進国でも貧しい国と同様に心の悩みを抱える人がいると分かった。外的刺激の多い物質文明は人が自分の内面世界との繋がりを感じることを阻害する。最初は満足を感じたことに徐々に満足できなくなり、もっともっとと求めても一時的な満足しか得られない。さらに、多くの人は何が幸せだかはっきりとした考えを持っていない。

人は怖い動物などを見たから走り出すのではなく、怖いものを見たら脳の扁桃体(amygdala)が反応して走り出し、その後、その身体反応を恐怖であると解釈する。一方、喜び、愛、共感や自信は左脳の前頭葉のニューロンの活動として計測される。扁桃体の反応は脳のより高度な構造をすり抜けることがあり、人が脳の反応を評価する能力は限られている。このため今起きていることに対する脳の認知は歪んでいる可能性がある。

さらに私たちの物事に対する理解は限られている。自分に見えている部分が全てだと間違ってしまう。どのような状況でも全てを理解していれば、私たちの反応は共感(compassion)になるだろう。

無知、執着、嫌悪は物事をありのままに見る妨げとなる。

無知:自己と他といった二元論的なものの見方をしていると自分を小さく、有限で力の無い存在であると考えるようになる。サンスクリット後で言うsamsaraの状態で、不幸の輪を意味する。一方、自我のない状態をnirvanaといい、幸福と喜びの状態である。

執着:仏陀は執着を海水を飲むようなものだと言った。飲めば飲むほど喉が渇くので満足することはない。

嫌悪:執着を持つと、それを得られないか、失う恐怖が生まれるが、嫌悪とはそのこと。自分に満足を与えるものに深い執着を持つほど、失うのが怖くなり、失った時の苦しみも大きい。

これらの苦悩を人格の問題にしてしまうのは過小評価だ。仏陀は人間として命を得ることの尊さを基本として説いていた。仏教徒の立場からは、自動的に発揚される人間の感情は興味深い挑戦である。

自分の中にある富を探索するために投資をした人は、外的な状況に関わらず尊敬を集め、信頼される。彼らの成功は個人的な野心や人気取り、或いは何を所有してどんな肩書きかに基づくものではない。心が広くリラックスしているので人や状況をよりクリアに見ることができ、個人的な状況に関わらず基本的に幸せな感覚を維持するすることができることが理由である。

継続的に平和と満足の感覚を得たければ、心を休める方法を学ぶことだ。休めることで、心の本当の性質が現れる。濁った水を澄ますように、心を澄ます。すると無知、執着、嫌悪、その他の心理的制限はゆっくりと沈んでゆき、同情、明瞭さ、心の無限の広がりが現れる。

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