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出産のときのこと〜知らないうちに教育入院(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その18)

今月8月は、娘の誕生日だ。8月は、出産をしたということもあり、私にとっても、パワフルな季節だ。夏の方が、元気がみなぎる。冬はエネルギーが落ちる。春秋は、過ごしやすい。ギラギラ太陽と連動して、今年の夏も、意外とパワフルに生活している。

6年前の8月。娘を出産したときのことを思い出す。娘をお腹に宿している間、私はとても穏やかで、満ち足りた気分だった。食欲は増し、娘の分も栄養を摂らなきゃ、と、調子に乗っていつもよりも食べる量が増えていた。若い女性の産婦人科医に、これ以上体重が増えたら、促進剤を使っての出産になる、体重を落としてください、と、怒られていた。しかし、私は、体重をなかなか落とすことができなかった。予定日近くになり、とうとう促進剤を使っての出産か…と、調子に乗って食べまくっていた自分を憂えていた。しかし、娘は、あと一日遅ければ促進剤、という、ギリギリの段階で、生まれてきてくれた。旦那のいきみ逃しがなければ、死ぬほどの痛みだった。夫婦協力して、娘を出産した。3780gの大きな赤ちゃんを産んだ。分娩所要時間21時間40分。陣痛が始まり、分娩にいたるまでに、念のためと早めに病院に行ったから、このような長時間になった。早く来過ぎだ、と、看護師さんは、呆れて笑っていた。

無事安産で出産したものの、産んでから間もないうちに、娘が吐いたから、様子を見る、と言われた。そのまま娘は、二週間入院することになった。その間に、私は病院に通い、ミルクの作り方や飲ませ方やオムツのつけ方などを、指導されることとなった。後々、それは「教育入院」なのだと、知った。私は、通院してる精神科クリニックの先生から、精神科もある大病院で出産するように言われていたので、そうしていた。大病院では、産婦人科の他に、精神科も何回か受診するように言われ、言う通りにしていた。このような経緯があり、統合失調症と診断されている私は、出産後、「教育入院」という措置を取られたことを、後々知ることになる。

母子手帳に書かれてて、後々知った

最初、私は娘が吐いたから入院、としか聞いておらず、自分の「教育」もされることになるとは知らなかった。出産間もない身体を休めることもできず、私は足繁く大病院に通った。当時、車を持っておらず、バスを使い、家から離れている大病院に、毎日通った。生まれたばかりの娘に、会いたくて仕方なかったからである。なんで生まれたばかりの娘を家に連れて帰れないのか、旦那にぶつくさ言われながら、私は娘のお見舞いをしつつ、ミルク指導やオムツ指導を受けた。

「教育入院」であることは知る由もなかったが、必要な知識を指導していただいたことは、初めての娘の養育に、非常に役に立ったので、ありがたかった。出産間もない身体を休めることができず、寿命が縮まった気はするが…統合失調症の者が、出産をする場合というのは、そういう措置を取られるのが一般的なのではないだろうか。

教育入院中の私
恥ずいので顔は隠しましたw
産んで間もないのに休む暇がなかった

娘の嘔吐を、私が向精神病薬を飲んでるからではないのか、と、言ってくる看護師さんがいたが、精神科クリニックの先生に聞いても、大病院の精神科の先生に聞いても、はっきりとそのせいではないと診断を受けた。当時から私は、一種類2ミリを、一日一回しか飲んでいなかった。その看護師さんは、精神病の身で、出産をした私を、良く思わない人だったのだろうか。私はクソ悔しかった。

「やってやるよ、めちゃくちゃいいお母さんになって、娘をちゃんと、立派な大人になるまで育てるよ。お前なんかに余計なこと言われなくても、やり遂げてやるよ‼️」

私は、看護師さんに直接言い返すことこそできなかったが、心の中で、火種がメラメラと燃えた。それが、私の子育てのゴングがカンカンカン‼️と鳴り響いた瞬間だった。二週間の教育入院はほんの始まりに過ぎなかった。退院して、家での娘との生活が待っていた。連日の睡眠不足とそれに由来する体調不良と闘いながら、私は身なりも気にせず、女であることも捨て、ぼろぼろの姿で赤ちゃんの世話をした。ただただ母であることだけが、そのときの私の姿だった。

今でも、娘はなぜ…私の元に生まれてきてくれたのだろう…こんな私の元に、と、自信をなくす日もある。私は他のお母さんのように、しっかりしたお母さんではない。昨日だって、娘の体育教室があることを忘れて、体育教室用のカバンを持たせるのを忘れた。普段着でやったよ、と報告をする娘を見て、なんて情けないお母さんだろうか、と、娘に申し訳なかった。あの日、看護師さんに言われて、誓った言葉を、私はちゃんとできているだろうか。めちゃくちゃいいお母さんになれているだろうか。私は今一度、自分の胸に聞いてみる。

思い出す。6年前のあの時期、髪を振りかざして、赤ちゃんを見ていた私を。ただ母であることだけが、私の姿だったことを。6年前から今まで、そしてこれからも、ずっと変わらない。隣で眠る娘の寝顔を見ながら、私は毎夜、ただ母であることを、思い出す。娘にとって、めちゃくちゃいいお母さんになれるかは、わからない。だけど、母である自分を、忘れることはないだろう。

娘の誕生日は、奮発して、娘が最近好きになった、カニ🦀を食べに行く。お金のかかる一日だ。サーティワンのアイスケーキも食べたいらしい。ガーデンオブバンバンのぬいぐるみも欲しいらしい。しばらく私の買い物は、できそうもない。けれど、私は、6年前のあの日から、抱えきれないほどの「何か」をずっといただいてることを、この8月は特に強く、感じ続けるであろう。



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