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仲間・味方のつくり方(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その33)

新たな年が始まり、正月休みが明け、いつもの日常が再開された。4日から出勤している。

2023年後半から、私はだんだん自分がヤバい状況にいるのではないか、と危機感を抱いてきた。私はもっと職場の人と打ち解けて、仲間や味方を少しずつでも増やしていった方がいいのではないか、と。今の自分では、ダメなのではないか。変わらなくてはならない部分もあるのではないか。4年目を迎えようとしている今はまだ、味方や仲間が少ない。私はもっと変化を起こし、味方や仲間を増やしていった方がいいのではないか。

私にそんな危機感を抱かせたきっかけが、職場の会計年度任用職員の60代女性である。その人は、いつも明るく余裕があり、人を気遣って話しかけてくれる人だ。みんな忙しい時にも笑って誰かと話してるので、ちょっとウザい時もあるのだが、その人のおかげで職場の雰囲気はパァッと明るくなった。みんなの笑顔が増えた。私にとっても、その人は話しやすく、親しみやすく、前にいた会計年度の人よりもずっと接しやすい。

私も会計年度の時代があった。その時はまだ20代だったということもあり、職場の勝手がよくわからなかった。正職員の人に気軽に話しかけていると、他の人に「何を会計年度の身分で…」と思われるのか、不機嫌になられることがあった。他にも、普通にしていると、態度がデカく見られがちのようで、それも「会計年度なのに」と思われるのか、私はあまり評判の良い方ではなかった。以後、なるべく身を小さくして、目立たないようにしていた。なんだか自分らしくはないし、伸び伸びもできず、こんな身分なら辞めたいと何度も考えた。正職員になれば、もう少し伸び伸びできるのか…私が正職員になりたいと思ったきっかけは、そのような理由もあったのかもしれない。(←だからと言って正職員になった今も、けして伸び伸び自由にやれているわけではない。似たような境遇だ。)

そんな会計年度時代があったから、会計年度は身を小さくしていなくてはならないと思っていた。しかし、その女性は、そんな素振りは一切なく、おかまいなしに、楽しそうにしている。役職がどうとかあまり意識していないようだ。人の懐に入り込むような接し方に長けていて、味方や仲間をどんどん増やしているように、私には見える。私にはそんなことができない。悔しいが、そんな術を持ち合わせていない。誰かと遭遇しただけで、まるでプレゼントをもらったかのように「わぁっ🩷」と喜んだり、人が話しているところに、上手に入っていっていつの間にか自分の話題にしたり、誰彼かまわずきゃぴきゃぴ笑っていることが私には絶対にできんのだ。←60代女性だが、きゃぴきゃぴとか、そういう表現が合っている。スゴい人だw

いつの間にか、私に当たりの強い管理職の女性も味方につけていて、飲み仲間になっている。恐ろしい。恐ろしい子…‼️その人は、私の「会計年度や新参者は大人しくしていなければならない、身を小さくしていなければならない」という考え方を払拭した。どんな役職だろうと、態度がデカかろうが、目立とうが、ゆるされる人もいるんだよなぁ、ああ、いいんだよなぁ、笑っていいんだよなぁ、、私もまだ4年目だけど、この課では若い部類だけど、もっと笑って、楽しんで過ごしていいんだよなぁ…もっと人とのコミュニケーションを楽しんでいいんだよなぁ…去年の年末、私は、課の飲み会に初めて行くことにした。コロナ禍での入職だったので、自分の歓迎会もろくにやってもらえなかったばかりでなく、自身で犬猿し、避けていた課の飲み会。しかし、初めて参加することにした。それくらい、危機感を感じたのだ。私がその人の真反対であることに。4年目にしてあまり仲間や味方が増えていないことに。

勉強や仕事をこなしているからといって、周りの人がそれだけで「よしよし、いい子いい子」としてくれるわけではない、冷たく厳しい風を、私は浴びている。懐に入り込むような声かけ、可愛げのある態度、茶目っ気、そんな、仕事には関係がないようなエッセンスが潤滑油となり、その人は特段仕事ができるわけではなくとも、ミスをしようとも、みんな笑って、ご愛嬌としてゆるされている。その人が、会計年度だから、そのような態度を認められているというだけでなく、その人だからこそ、受け入れられている気がする。私は本当に不思議でならないし、とても悔しいのだ。会計年度時代も、今でも、私が私でいても「よしよし」にはならないのに、なぜその人は、その人でいて、みんな笑って受け入れてくれるのだろう。羨ましすぎる。なんて素敵な世界線だろう。自分がそのままで、ふんわりと自然体で楽しそうに仕事をして、同僚はみんな優しく受け入れてくれて、失敗しても朗らかにゆるしてもらえるのである。私の失敗は、笑い話にすらしてもらえず、さーっと冷たい風が流れるというのに。私もそんな世界線に生きられるなら、生きてみたいよ‼️

駄々をこねてみる

仲間や味方のつくり方。その人は、私に改めてそのことを考えさせるきっかけを与えてくれた。私はこのままでいいのだろうか。その人を見習わなくてはならないのだろうか。その人のように、誰にも分け隔てなく、朗らかに明るく接することは、私には不可能だ。自分は社交的な方だと思っていたが、そうではないということに改めて気づかされた。社交上手の人にとって、当たり前のことが、自分にはちっとも当たり前ではない。そんなんでいいのか、あやこーんよ‼️

自分に見えている外部の世界や、他人は、自分の映し鏡だという。鏡に映る自分に笑ってもらおうとしても、自分自身が笑わない限り、けして笑わない。優しい世界に生きたいのなら、自分を受け入れてもらえる世界に生きたいのなら、まずは私が、他人に優しくし、他人を受け入れるべきなのだろうか。

そう考えると、会計年度の女性の接し方は、その人を丸ごと受け入れてくれるような接し方なのかもしれない。他人の懐に入り込む接し方とは、その人自身の懐が深いからこそできることなのだと感じる。日頃、公務の世界で、公務員は、職場の様々な人に様々な評価を受けている。県民にも市民にも厳しい目で見られ、評価を下されている。そんな世界の中で、評価やジャッジを下すわけではない、ただ自分と遭遇しただけで、「わぁっ🩷〇〇さぁ〜ん🩷元気ィ⁉️」なーんてにこやかに接してくれる人がいれば、緊張でガチガチになった心身はほぐれ、ほどけ、その人に心を開きたくなり、仲間や味方にもなりたい、と思われるのかもしれない。

私にはまだ懐の深さはないし、その人のように、大げさに喜んだり、きゃっきゃっとはできないかもしれないが、「私だって人と仲良くやりたいよ、楽しくやりたいよ‼️」という気持ちは、忘れないで人と接していく2024年にしようと思った。初詣には、神社に手を合わせ、「周りの人と仲良く、楽しく過ごしていける、明るい年になりますように」と願った。私の得意技である、「いじけること」からも卒業する一年でありたい。その人を羨んで、いじけないで、ひがまないで、私もできることから変えたい。その人にそっくりそのままなろうとはしなくて、いいのだ。私には私の優しさがあり、明るさがあるのだ。それが周りにも上手に伝わることが、今の私の課題だ。公務員になって、毎年毎年が変革だけれど、今年も私にとって大きな変革の一年になりそうである。

公園の光と噴水のしぶきが、
応援してくれてるようだった

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