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5月1日水曜日〜5月7日火曜日の日記

スペイン語の悪口「カブロン」。尊敬されないわたしたち。
GW恒例の広島帰省。むさし、宮島、あなごめし。
野良ミケちゃん、ついにあらわる。

などなどあった一週間でした。今週も平和です。

五月一日(水) 雨・曇り

昨夜は、子どもが「むかつくことをいってくる子にスペイン語でわるぐちをいいたい」と言うので、スペイン在住の友人と、スペインに住んでいた友人に悪口を教えてもらった。

「カブロン いみ ばかやろう」

と、教えてもらった言葉をメモしていた子どもだけれど、「でもぼく、言わないでおくよ」といって眠った。
武器になる言葉を知って、ある程度は気持ちがおちついたのかもしれない。いつもより遅くまで悪口への対応について話をしていたので、今朝はいつもより遅くまで寝かせた。

すこし心配だったが、「あと2日行けばおやすみだ!」といって元気に家を出ていった。GWのような大型連休は不要だと思っているわたしだけれど、三日おきぐらいに休みがあればなんとかがんばれる、という人は多いのではないか。連休はいいから、水曜日を休みにしたらどうか。

今日は学童を休ませた。途中までお友達と一緒に帰ってくるので、最近はその地点までお迎えに行くようにしている。
子どもが学校を出たという通知がきたあと、すこしして雨が降っていることに気づき、傘をもってあわてて家を出た。

向こうから歩いてきた子どもは、学童に置いていた白い折り畳み傘を手に持っているもののさしていない。慣れない傘を自力で開けなかったらしい。濡れている。

わたしはすぐに自分のさしていた傘を子どもに渡し、子どもが手に持っていた傘を開いてみた。たしかにこの開き方は子どもにはすこし難しい。(骨をパキパキとのばしてから開くタイプ)
そういえば、ボタン式の折りたたみ傘のボタンが固くて開かず、濡れたまま登校している子を見たこともある。
もっと簡単なもの、力の弱い人にも使いやすいものが増えてほしい。

夕飯の時、相方が「どうだった?学校たのしかった?」と聞いた。
わたしはこの質問はなんなのかなといつも思っている。
「たのしかった」と答える前提の質問ではないかと。
子どもはだいたいの場合、「ふつう」と答える。

子どもの今日が「たのしくない日」だったとして、彼の「たのしくない日の話」をそのまま、うけとめようという気持ちはあるんだろうか。

子どもが、「むかつくことを言ってくる子がいる」と、昨日の話を相方にうちあけた。
「小さな声でおとなりの人とはなしていても『うるさい!』っていわれるっちゃん。ほかの子にはいわないのに」
わたしが報告された、その子の「むかつく言葉」の、いちばんマイルドなやつを相方に伝えている。

相方はいろいろ言っていたが、こういう時に、子どもが責められるような感じになるのが嫌だなと思う。
「むかつくことをしてくる人にはキレないと、『この人には何を言っても許されるんだ』と思われる」と相方。それはそうかもしれない。

「パパを見てごらんよ。パパみたいにキレたらいいんだよ」
謎のアドバイスをする相方。すると子どもは、
「えー!いやだー!パパみたいになるのいやだー!」
といい、笑ってわたしに抱きついてきた。
「いやだよね。絶対嫌だよね」
真顔でわたしもいう。
相方は「フフン」と笑っていた。(どういう感情なんだ)

深夜に目が覚めて、洗面所でスキンケアをしながら、子どもが「パパみたいになるのいやだー!」と言っていた場面(と、相方のフフン)を思い出し、ふふっと笑ってしまう。

父親をばかにするだなんて、父親を尊敬できないなんて、と思われるかもしれない。でも、そういうことではないと思っている。
父親は家庭のなかで絶対。父親は尊敬されるべき存在。
そんな考えはぶっ壊していい、とわたしは思う。

もちろん、1ミリの隙もなく、家族に尊敬されるような人もきっとどこかにはいるかもしれない。でもほとんどの人はそうじゃない。
すくなくとも相方は違う。わたしも違う。全然ちがう。
相方もわたしもできないことばかり。未熟なところばかり。家族間で迷惑をかけあってばかりだ。そして、尊敬すべき点もたまにある。
それでいいと思う。

相方は子どもが生まれてから数年、子育てにまったく参加していなかった。(まったくと言っていいだろう。家にいなかったのだから)

その時期に起きた、数多のトラブルの末にわたしはこう決意した。
わたしは、妻として「夫を立てる」なんてしない。
母親として「子どもが父親を尊敬できるように」なんてふるまわない。
尊敬されたいのなら、本人がそれに相応しくふるまえばいい。
わたしは相方のことを実際以上によく見せようとか、実際以下に悪く見せようとか思わない。良いところは(少ないけれど)子どもに伝えている。
でも、良いところも悪いところも、わたしが伝えずとも子どもは勝手に感じている。「バレている」と思う。

子どもはもっと幼い頃から「そういうことをいわないほうがいい」とか、わたしたちに注意するような子だった。
「あたまのなかに悪いことばがあっても、箱のなかにいれておくんだよ」と言っていたこともあった。
実に思慮深い子だと思う。そしてそれが彼の美学なのかもしれない、とも思う。

友だちに悪い言葉を言われても、相方やわたしのように反射的に言い返さず、持ち帰り、誰もわからない外国語で言い返す術はないだろうか、と考えたりする。わたしはそういうこの人をすごく尊敬している。

「すぐに同じ言葉を言い返したらいい」
「そうしないと相手はどんどんつけあがる」

相方の言うことは一理ある。けれどもそれは(現状)子どもの理想の形ではないのだ。今、それを探しているところなのだ。

わたしは話をきいて、次にこんなことがあったらこうしてみよう、でもこういうときはすぐに先生に伝えて、とか、一緒に考える。
わたしにも「彼の」正解はわからないから。彼が見つけるしかない。

わたしはあなたのことを尊敬している、と子どもに伝えた。
あなたはパパにもママにもないものを持っている。あなたは素晴らしいよ、といって抱きしめた。

五月二日(木) 晴れ・肌寒い

今日の服。黒のセントジェームスのカットソー。ブルーのデニムパンツ。

10連休中の相方は、庭の掃除などして過ごしている。
聞くところによると、全社休み、と伝えているにもかかわらず、顧客から「明日の何時までに」「今日の何時までに」などの連絡がやまないらしく、休みといいながら対応しているみたいだ。

わたしのほうは、昨晩、急に「疲れたな」と思った。
何か、頭を使わないことがしたい。映画はどうだろう、と思い上映中の作品を見てみたら、コナンとかゴジラとかでちょっと違う。それと「オッペンハイマー」。これは余計に頭を使うのでなしだ。

せめてものすごく美味しいものが食べたい、と思い、最近行けていなかったパスタショップに相方と一緒に行く。
ピリ辛茄子のボロネーゼ。相方はカルボナーラ。美味しかった。
小さなお店で、無くなってしまうのではと心配していたけれど、お客さんが入れかわり立ちかわり訪れていた。

夕方、子どもが帰る時間なので通学路の途中まで迎えに行く。
コンビニの前の交差点で合流し、ならんで歩いていると、子どもが「きょうも楽しくなかった!」といって頬をふくらませ、そのあと「でもがんばったよ!」といって、ニコッと笑った。

わたしは「おつかれさま!」といって、かわいい子をぎゅーっと抱きしめた。

五月三日(金・祝)  晴れ(広島)

広島帰省初日

旅のおともに、青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』を持ってきた。新幹線の中で読み始める。(子どもは隣で『理科ダマン』を読んでいた。)

10時に新幹線に乗り、昼過ぎには義実家に到着した。
子どもは義母がつくってくれたカレーを食べ、相方とわたしは駅で買った「むさし」のお弁当で昼食。
駅に着いたのは11時だったが、お好み焼き屋は既にどこも大行列で断念し、お弁当にしたのだった。

義父も義母も元気ではあるけれど、義父は小さくなっている気がするし、義母は耳が遠くなり、会話が成立しづらくなって寂しい。

夜、子どもを寝かせた後に相方とテレビを観ていたら、「しーっ」と相方が言った。聞き耳を立てると、二階から呼んでいる声がした。「はいはい、いくよー」と言いながら二階へ。義実家でのお決まりの場面だ。

部屋に入ると子どもが「やっときてくれた…」とふてくされた声で言った。暗闇で表情が見えない。「ごめんね、何回くらい呼んだ?」ときくと「5かいくらい」と子ども。思ったより少なくてほっとする。
帰省している時は、目が覚めた時にいつもと違う場所だからとくに不安になるんじゃないかと思っている。目元をさわると濡れていなかった。もっと小さかった頃は、泣いていたのにな。

半袖の寝巻きしか持参していなかったわたしは、肌寒くて子どもを抱きしめる。あたたかい。いつでも、どこにいてもそれは変わらない。

五月四日(土)  晴れ(広島)

朝から相方と宮島へ。子どもは「人が多いところに行きたくない」といってついてこなかった。(「宮島いきたい」と言い出したのは子どもなので、朝から行く行かないで一悶着あって疲れた。)

混雑した船の中、みんな手すりのところに陣取っている。厳島神社の鳥居が見やすいように。
ひょっとしたタイミングで空いた手すりのスペースに、小学生くらいの男の子がちょうどよくおさまり、下から階段をのぼってくるお母さんに「鳥居みつけたよ!」といっている。
少し離れたところでは、中学生くらいの女の子が、人と人の隙間から鳥居が見えないかと、首をのばしている。
さっきのお母さんが、小学生の男の子の後ろに立った。お母さんの横顔。これから宮島に行くんだ、というフワフワした期待みたいなものが伝わってくる。

わたしたちにとってはいつもの宮島でも、この船には初めて来る人たちもたくさんいる。そして、これが最後になる人もいるんだろう。
そういう人たちがここでみんな一緒に、遠くに見えるちいさな赤い鳥居を眺めていることにじーんときた。
子どもと一緒に来たかったな、と思った。

9時すぎに島に到着。
カフェでアイスコーヒーを買い、焼きガキを食べ、子どものおみやげにすみっコぐらしの人形焼を買って島を出た。宮島口の「うえの」であなごめし弁当を買う。併設されている「エピロ」という雑貨店でコーヒーや地元のもの、雑貨を買って帰宅。だいたいお決まりのコース。

帰ってから、みんなであなご飯を食べる。
子どもはまたカレー。(昨日の昼、夜もカレーを食べていた)

義母が、「玉ねぎを茶色くなるまで炒めて、冷凍しとくんよ。それさえあれば、簡単にできるから」といった。
義母のカレーは本当においしくて、ただでさえカレー好きの子どもは、帰省するといつもそればかり食べている。
「おばあちゃんのカレー好き?ってきいたら、うん!って言ってくれたんよ」と目を細め、うれしそうにしている。秘訣は愛情だな、とおもう。

夕食後にみんなで「ジャラポン」をした。
子どもが二回も勝った。

相方は一日中歩き回っていたので、疲れて子どもと一緒に寝てしまった。
夜、一人でストレッチやらスキンケアやらしていても、人の家ではおちつかない。はやく家に帰りたいな。

今日何度目かの自宅ウェブカメラをチェックするが、ねこの姿は見えなかった。二階の寝室で寝ているんだろう。
わたしたちを待っているだろう。きっと。

五月五日(日) 晴れ(広島)

12:45 義実家を出る、駅まで歩く
13:07 電車に乗る
(広島駅でお土産を買う)
14:28 新幹線に乗る

帰りの新幹線の中で、子どもに「おばあちゃんの『無理せず』『やりたくないならやらないくていい』という言葉を真に受けすぎないでね」という話をした。

帰省中、すこしでも指を動かせるように、家にあったRolandのキーボードを義実家に送っておいた。
子どもは練習不足な曲でつまずくと、「できない!」と癇癪を起こす。それを見ていた義母が「いいよいいよ、無理しなくても」「やりたくないときにやらなくていい。やりたくなったらやればいいよ」と声をかけていて、ただでさえ甘やかされているのに、その言葉で癇癪に拍車がかかる、という場面があった。

「無理しない」というのにも限界がある。
できないことをできるようになるプロセスの中で、自分のキャパを飛び出す必要があって、その時には当然、多少の無理が生じる。
子どもがやっているのは、普段じゅうぶんに練習をしていれば弾くことが可能な曲であり、弾けていないのはただ練習が足りていないから。
「嫌だなぁ、めんどくさいなぁ」という気持ちはとてもよくわかるけど、自分で気持ちをそこに持っていけないならば他人(わたし)が尻を叩くほかない。(「できるから、やりな」と言っているだけだけれど)

「〈無理しなくていいよ、やらなくていいよ〉っておばあちゃん言うけど、それでその言葉を真に受けつづけたら、しいくん、どうなる?」

「なにもできなくなる……」

「おばあちゃんは親じゃないからさ、おばあちゃんの立場としてああ言ってるんだからね。親が厳しく言ってる、だからおじいちゃんおばあちゃんは甘やかそう、ってスタンスなんだから。そこんところ勘違いしないようにしてね。じゃなきゃさ……」

「おばあちゃん、こう言うんじゃない?
〈無理して生きなくていいからね……〉」

やさしく微笑みながら子どもが言った。

え、なにそれ、めっちゃおもしろいじゃん。『やさしいおばあちゃん』っていう怖い話をつくって、そのセリフをオチにしたらいいじゃん。
と、会話が別角度で盛り上がってしまった。

しかし、あらためて思う。
別に無理をしているわけじゃない子どもに、大人が先回りして「無理しなくていいからね」と言うことは、呪いになってしまうかもしれない。(親による「呪い」は悪いものなのか、という話はここではおいておく)

たしかに帰省中の義実家は子どもにとって集中できない環境で、気分の切換が難しい。でもそんな状況は、これからもたくさんあるだろう。気分のコントロール自体に練習が必要だ。

子どもが頑張ろうという時にに大人がやることは「無理しなくていいよ」という声がけだろうか。よく考えて、子どもをよく観察して、言葉を発したい。

五月六日(月) 曇り時々雨

こどもの日を理由に買ってもらったゲームソフト(カービー)がしたくて、子どもは早起き。それにつられて大人もなんとなく早起きになり、眠い。

昨日、帰宅してすぐ、あの三毛猫が姿をあらわした。
赤ちゃんを産んで、体がすっかり小さくなっていた。ひさしぶりに会ったのをうれしがっているみたいに、ごろごろ喉を鳴らしている。たくさんごはんをあげ、たくさん撫でた。
今朝もまたあらわれたのでごはんをあげ、相方といっしょになでなでする。本当にかわいい。
ちょっと探してみたけれど、子猫たちは依然行方がわからない。無事でいるのだろうか…

午前中、わたしは洗濯機を2回まわし、相方は庭仕事。

散歩ついでに昼ごはんを買いにコンビニまで。もんわりと蒸し暑い。
山のほうを見ると、緑が濃くなっていた。

午後、パプリカの苗を植えたいと相方にいうと、他にも苗を買い足したいからホームセンターへ行ってみよう、ということに。子どもは渋々ついてきた。

子どもが「小さな木がほしい!」と言うので、小さなコニファー系の木を買う。相方が寄せ植えにすると言ってほかにハーブなどを選んでいた。
パプリカの苗を二種、ゴーヤも買い、帰宅して植える。

裏庭のレモンの木に、花がたくさんついている。買ってから5年ほど経つがこんなに花がつくのははじめて。今年こそ実がつくだろうか。わが家は子どもも含め、レモンが大好きなので楽しみだ。

明日のパンがないので、丸パンを焼く。
うちのオーブンは指定より10℃下げても焦げてしまう。途中からホイルをかけて焼いた。焼きたては表面が薄くぱりっとして、中はもちっとしていておいしかった。

お風呂に入る時に、また子どもがぐずり始めた。
「どうして毎日お風呂に入らなきゃいけないの」「昨日入ったからいいじゃん」など。
一日の最後に説得する気力も失っていて、だいたいは「いいから入って」と強引に指示したり、「そんなこと言うなら明日はゲームの時間を無しにしよう」と脅すくらいしか対処法を持たないわたしたち。

今日のわたしはもう声をかける気力もなく、あとは相方に委ねよう、わたしより短気な相方に「ゲームなし」と言われるか、最悪の場合買ってもらったばかりのゲームをとりあげられるのだろうなと思いながら、先に浴室に入る。

しばらくすると子どもが静かに浴室に入ってきた。
「パパになにか言われた?」ときくと、「いわれてないよ」と言う。
そうなんだ、てっきり、またぐずぐず言って「ゲーム禁止ね」と言われたのかとおもったよ、というと、「そういわれるとおもって、ぼくなにもいわなかった」という。
子どもは「ぼく、もうそういうこと言わないようにするよ」といった。

「大人になったね」とかいいながら、胸がすこし痛む。
お風呂に入る入らないくらいの(日常レベルの)ことでわがままを言われるのはしんどい。けれども、子どもがわがままを言うのは悪いことじゃない、と思っている。
どちらも正直な気持ちで、いつもそのあいだにいる気がする。

五月七日(火) 晴れ

ようやくGWが終わった。
今日は、同級生母たち三人でのランチ会。連休前にスケジュールが合わず、「では連休後、すぐに!」と計画していた。発案者はあいこさん。

あいこさんとまみさんは、わたしのはじめてのママ友。
産後一人で引きこもっていたわたしに、あいこさんが「そろそろ外に出よう」と声をかけてくれて、同級生の子を持つまみさんと繋げてくれて、三人で赤ちゃん連れで出かけたり、街でランチしたり、展示を観に行ったり。
「みんなでやれば怖くない」を掲げてともにチャレンジしてきた仲間。完全ワンオペでいちばんしんどい時につながっていた同士。二人がいなかったら、今こんなにのほほんと暮らせていないかもしれない。そのくらい大切な人たちだ。子どもが成長して、親だけで集まれるようになった。それだけで、感慨深いものがある。

今回はおいしいお寿司ランチ。
今月の後半から食事制限をする予定なので、そのまえにスペシャルに美味しいものを食べておきたいと思っていた。ちょうどよいタイミングだった。

お寿司は美しいし、季節感のある腕も美味しいし、最後にはお抹茶までいただけて最高だった。
二人は子どもたちが早帰りの日だそうで、ランチを食べたらさくっと解散。それぞれの車で帰宅。
これくらいの気楽さで、さらりと集まれる友人がいることのありがたさ。楽しかった。

帰宅し、メールチェックや取材準備などしていたら、あっという間に子どもが帰る時間だ。
子どもをお迎えにいくと、いつもよりはやく、駆け足で家のちかくまできていた。手になにか白い紙を持っている。

「どうしたのそれ」ときくと「いらないっていったのに」と口を尖らせながら見せてくれたのは、週末に行われるミニバスケ体験会のチラシだった。

高学年のミニバスの子に渡され「いりません」と断ったそうだが(はっきりしている…)「ぜったいたのしいから!」と言われ「お母さんがだめだっていうから」とさらに伝えたが、強引に渡されたそう。
「(チラシを)とちゅうで捨てないでね!」と釘をさされたと言っていた。ゴミになったら苦情がくるものね。(しっかりしている…)

子どもはバスケもサッカーも興味があるんだろう。
本当は行きたいけど……という気持ちが滲み出ている。
だがしかし、隣の家(の親)がミニバスケやサッカーで毎週大変そうなのを見ている。運動部に入るのは自分で動けるようになってからにしてほしい…
母の切なる願いだ。

(次回は 5月 22日水曜日か23日木曜日 に更新予定です)


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