#8 わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために by 渡邊 淳司, ドミニク・チェン他


運動不足解消がてら立川を散歩していたら、GREEN SPRINGSという場所にたどり着いた。

おしゃれなお店やカフェ、ビオトープ、くつろげる広場などがあって、また来たいと思える場所だった。

ググってみると、「空と大地と人がつながるウェルビーイングタウン」とな。ほほう、ウェルビーイング。

ちょくちょく聞く単語。漠然と「幸せであること」というイメージ。

いい機会なので、以前から気になっていた『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術』を読むことにした。


ウェルビーイングとはなにか

そもそもウェルビーイングとはなにか。

Wellbeing <名詞>
「Well = よい」と「Being = 状態、あり方」を組み合わせた言葉で、心身ともに満たされた状態であることを指す。

ふむふむ。

「満たされてる〜♨️」という状態か。


インターネットで幸せになれてなくない?

「インターネットで幸せになれてなくない?」という課題感が議論の出発点。

アテンション・エコノミーに代表されるように、効率を追求し続けた結果として常に半端につながり続けることが当たり前になってしまった世界。

プッシュ通知に促されるままにスマホを開き、気づけば30分経って残るのは虚しさ。

情報通信技術が欠かせなくなった現代で、幸せな人を増やすにはどうすればよいのか?

ウェルビーイング = 幸せになるためにはどうすればよいのか?


日本型ウェルビーイングを考えよう

欧米のウェルビーイングは「個(わたし)」中心であるのに対し、東アジアのそれは「共(わたしたち)」も重要である。欧米発祥のウェルビーイングという概念をローカライズして日本型のウェルビーイングを考えよう、と提案している。

著者である渡邊氏、チェン氏が『ウェルビーイングの設計論 ―人がよりよく生きるための情報技術』の翻訳をおこなった際に「個」中心の議論に違和感を抱き、本書の執筆につながったとのこと。


調査によれば、日本人のウェルビーイングは他者との関わりの比率が大きいらしい。他者に助けてもらう、逆に他者の役に立つ、など。

「わたし」が幸せであるためには他者との関わりが不可欠。よって「わたしたち」が幸せであって初めて「わたし」も幸せになれる。


わたし / わたしたち / コミュニティ・公共 / インターネット

そうした前提に基づき、本書ではウェルビーイングを4層に分けている。

わたし、わたしたち、コミュニティ・公共、インターネット。

それぞれのレイヤーでウェルビーイングが成立することで「わたし」は幸せになれる、ということらしい。

ではどうすればよいのか。


実践方法

本書は明確な1つの答えを提示しているわけではなく、Part 2 で様々な事例を上げることで実践方法を提案している。

岡田美智男氏の<弱いロボット>や、小林茂氏の「IoTとFabと福祉」という障害福祉と技術の可能性を探る取り組みなど。


自律性

読後、頭に「自律性」という言葉が残った。

人間としての幸福を感じるために不可欠なもの、自律性。

自分で考え、自分で自分を管理できている。自分を動かしているのは自分であるという確信。

これは情報空間の内外を問わず必要。

対人関係であったり、仕事であったり、人生であったり。


朝起きて、Twitterを開いてネットサーフィンをしていたら1時間経った。そこで感じる虚しさは、自律性の欠如から来ているのだろう。

ウェルビーイングなサービスの要件の一つは、ユーザーに自律性を感じさせられることなんだと思う。


気になったところメモ

・ウェルビーイングとは、「わたし」が一人でつくりだすものではなく、「わたしたち」が共につくりあうものである

・他者との関係性を見直す。他者との関係に入り込み、異なる自己へと変容することを受け容れる

東アジア的「わたしたち」のウェルビーイング
運勢型幸福感 = Luck-based happiness ↔ 獲得型(欧米)
幸福の概念が「運」と結びついている
個人は他者や世界とつながっている = 世界はそもそも個人が制御できないほど複雑である

・存在論的安心
自身の道具的ではない価値への確信

・インターネットにまつわる「コミュニティ」の形はまだ定まっていない。
「公共」も定まっていない。

・(情報通信技術について)

近接する人々と親密な関係を築くには離れすぎていて、自分自身と向き合えるほどひとりになるにはつながりすぎている。私たちは、常に半端につながりあってしまっているのだ。

・「やらされる」ことは、人間を「道具」のような意識に貶める

・注意経済(アテンション・エコノミー)
「刺激はあった」ものの、「何もしていない」という感覚の方が強い。自分の意思で考えているようで、考えていない。

他者の手助けになれる者として、自らを価値づけられる
cf. 「弱いロボット」

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