ピンク髪とヒョウ柄で、僕は今日も東京にいる。
どうにもこうにも人の目を見て話すのが苦手だ。
相手が男であろうとも女であろうと関係はない。別に何もやましいことなどない。けれど、なぜか目を見て話すのが苦手だ。そんな自分を認知するたびに「陰気な人間だな」と毎回少しだけ落胆する。(実際の私を知っている人が聞いたら「よくもまあそんな嘘を書くものだな」と思うに違いないが本音はこちらである)
目と目を合わせることはある種の「貫通式」のようなものだ。発破点火されたものならば目の前の人と自分の間にトンネルが出来上がって(そこを通るか通らないかは置いておいて)道ができる。素直にその道を通ればいい。けれど皆が自然と歩みを進める中、ふと立ち止まってしまう。脇道はないものか探してみたくなる。本当はメインストリートを気軽にハイタッチしながら行き交いたいのにも関わらず。本当は目を合わすことができるにも関わらず。
なんとも面倒くさい、天邪鬼なのである。
そんな天邪鬼さは、これまでいろいろな場面で発揮をしてきた。
友達がサッカーをすると言うならば、自分はラグビーをする。
友達が漫画『ワンピース』にハマるならば、『ナニワ金融道』にハマる。
森山直太郎が流行っているならば、吉田拓郎を聴く。
友達が「ともさかりえ」を好きというならば、俺は「さかともえり」の方が好きと言う。
カッコよく言おう。逆張りの人生だった。
そんな私も4月で33歳を迎えたわけだが、相も変わらず「逆張り」を半ば無意識的にしてしまう。3月に祖父が亡くなった時もそうだった。
大阪にいる祖父が亡くなったと連絡が入ったのはちょうど3月半ば。突然のことだった。93歳で天寿を全うしたが、本人はまだまだ生きているつもりだったであろう。昨年の夏に戦争体験をインタビューしに行ったことが、祖父からじっくり昔話を聞く最後の機会になってしまった。
その祖父の告別式に、おじいちゃんっ子だった私は「祖父が好きな色だったから」とかこつけて髪色を赤色に染めた。一般的には葬儀で明るく染める必要もないし、なんなら茶髪を黒染めした方が良かったのかもしれない。けれど最後まで、私の小さな小さな生き様を祖父に見せたかった。
おそらく「ええ色やんか」と言っていたに違いない。
そこからは早いもので、四十九日がやってきては、あっという間に時が過ぎ去った。あでやかな赤だった私の髪はだんだんと色が抜けて、今や桜色である。
世間はもう葉桜になっているのにも関わらず。
今日も、私はピンク髪で東京にいる。ヒョウ柄シャツを身に纏いながら、東京にいる。そしてFM802を東京で聴きながら、人と目を合わせられない日々を送ってみたりする。
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