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あの日の香りが連れてくる思い出に、僕らはいつも見えない涙をこぼす。

春が近づいてきた。地下鉄にマフラーがちょっと息苦しい。北風と南風が混ざったぬるいビル風は、なんだか追い焚きをしている途中の湯船にいるようで、妙な眠気を誘う。日常の中にある小さなグラデーションで今年も春がやってきたんだなと実感していた私は、渋谷の片隅で深く息を吸い込みながら狭い空を眺めていた。

そんななんでもないひとときに、前触れもなく胸を引き裂かれるような切ない感情に襲われる。妙に懐かしく、淡く、儚いそれは反芻するには心がもたない。ひと齧りしてそっと残りを冷凍庫に残しておきたい。けれどそんなことができないのが現実で、いたくもどかしい。香りというものはそういう存在だ。

どちらかといえば私は、幼い頃から香りに敏感なほうだと思う。今や文筆調香家という肩書きを勝手に背負って、日常的に個人や法人に対して香りを作っているくらいに、だ。感覚と感情を震わすその存在に昔から妙に惹かれてしまうのである。その香りが記憶をフラッシュバックさせることは科学的にはプルースト効果なんて呼称があるくらい有名なことで、この不思議な体験に遭遇したことがある人は多いのではないだろうか。

自転車で駆け抜けた河川敷。眩しい西陽が電車に差し込んだ帰り道。朝まで飲み明かした学生街。公園のブランコで語り合った夜更。あの日の、なんてことのないあの瞬間。街も人も全く変わってしまったのに、刹那、そこにはあの人がいる。あの時がある。あの春がある。

不意に風が運んでくる香りに意味を見出すとするならば、それは過去の自分から、今の自分に対しての羅針盤のような投げかけであろう。

「過去の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか。」
「誇れる自分でいられているだろうか。」
「あいつに恥じない生き方をしているだろうか。」
「あの人に今この瞬間会えたら、報告できることがあるだろうか。」

単なるノスタルジーではなく、そこには意味があるのかもしれない。

街の雑踏の中で狭い空を眺めながら大きく息を吸う。大人になった私たちは、どこからともなくすれ違う香りによって、突然あの日に帰れるだろう。その瞬間、胸を打たれ、見えない涙を静かにこぼす。涙が頬を伝うとき、ぬるいビル風が頬を乾かして私たちは我に返るに違いない。そうやって、また今日を忙しなく繰り返して、私たちは生き続けるのだと思う。

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